森に足を運ぶと、この世の音は遠ざかり、自然が奏でる音が耳に伝う。よく耳を澄まして心で聞くと、神の声や笑いや、天使や妖精の歌声が聞こえてくる。それは幻聴!いやそれは真の音、存在する音。それを聞くか聞かないかはあなたの心の姿勢。見ることによって信じるか、或いは信じるのに見ることを求めないか。
 あなたの心がそれを知っている。まさに神の国はあなたの心の中に・・・と聖書は教える。

 木には命があるの、心があるの、そして霊はあるの・・・確かにあると、私は森を歩き感じる。まさに木は古老のように知恵に満ちている。あるがままを受け入れる知恵に満ちている。その森の住人に尊敬を持ってレンズを向ける。誰も断りもしなければ、ポーズを取らない。しかし森は写真家にこう求めている。
聖書にはこうある。「実に被造物全体が、今に至るまで、ともにうめきのともに産みの苦しみを苦しみを続けている・・」ローマ書8:22彼らの言葉を表わしてくれることを人間に求めている。詩人は言葉でそれを伝え、写真家はそれを光で伝える。さあ今日もどんな言葉を森は伝えてくれることか。

 「神の見えない性質、すなわちその永遠の力と神性とは、天地創造のこのかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって彼らに弁解の余地が無い。」ローマ書1:20
 目を見開いて自然の仕組み、営みをよく観れば、そこから何か感じるはずです。森の一年、そして気が遠くなるほどの木々の一生。虫達の成長と不思議。あの小さな種から巨大なぶなの森が形成され、そして誰も教えないのに渡り鳥は何千キロも正確に群れで旅をし、そして動物たちは森のおきてを知り、その営みを自然にゆだね逆らうことなく、その恩恵を受け、人間が築けずにいる平和な完全な世界を生きています。森に憎しみや無駄な殺戮はありません。
 まさに森や自然は人間へのメッセージです。さああなたも手になじんだカメラを持って、森へ入ってみましょう。さあ、心を澄まして「森の光」のメッセージをフィルムに書き取って見ましょう。
 しかし森に無いものがあります。それは愛です。それこそ人の心にあるものです。森の知恵、そして人の愛、それが一つになり何かが出来るのです。そう愛の目で自然を見るのは人間だけです。その愛で人は森を切り開き、道を作り、そして森からその益を受けています。そしてその愛で森を守るのです。
 そしてそこは神のメッセージの図書館、シアター!あなたは神の声を聞き、そして神の光を見る。
青い森の写真家より

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