愛と憐れみへの祈り 
                                                       
1971年5月31日 No.75 GP 
*「羊」の意味はあなたがお世話する人です。
*これはあるクリスチャンの見解です。あくまでも参考まで!

 1.あなたは、羊たちに対する同情をもつことを学ぶまでは、−−大きな愛と大きな憐れみを持つことを学ぶまでは、−−あなたは真に大きな指導者、真に偉大な牧羊者になることはできない。時には、われわれは、とうていそれはできないと感じ、泣いたりする。われわれは、とうていそんなやさしい気持はもてないと感じ、その気持に耐えるために、われわれの心を反ってかたくなにしようとしたりする。しかし、それは決して解決にはならない! そうしないで、あなたはあなたの重荷を主にゆだねるべきである。そうすれば、主はあなたを支えられるであろう!
 2.かたくなになり、暴君的になることは、肉的な行為である。決して主の解決の道ではない。看護婦たちがよくそんな過ちをおかす! 彼らは悩みに堪えられない。彼らは、自分たちの重荷をゆだねるべき主をもっていない。人は、たえず直視していなければならない悩みと苦痛には堪えられなくなるもので、そのために、自分たちの心を固くし、最後には人間の屠殺者そのものになったりする!
 3.わかるか! われわれは魂の医者である! あなたは、自分が、苦痛やいろいろな問題を直視するのに堪えられないからといって、自分自身が屠殺者になり、他の人々が苦しむのを楽しむようになってはいけない。あなたは神に、彼があなたに優しい心を与えて下さるよう、祈るべきである!
 4.祈り、−−イエスよ、イエスよ! われわれはあなたを必要とする、イエスよ! やさしく愛情ぶかいイエスは、群衆のために涙を流された。彼は疲れているときも、群衆をあわれみ、その病者をいやされた。彼は疲れきっていられたが、その心を固くされることは決してしてなかった!
 5.主よ、あなたはあなたの心を固くせず、群衆にあわれみを示された。あなたは常にやさしく、静かに、謙虚でいられた。あなたは群衆のために涙を流された。あなたは彼らの心のかたくなさを嘆かれた。あなたを何より嘆かせたことは、群衆の心のかたくなさであった。−−あなた御自身が集められた者たちでさえ、心がかたくなであった。あなたは彼らが苦しむことを見るのをいとい、彼らのために泣かれた。どうぞわれわれを助けて、われわれの心をかたくなにしないで下さい。われわれは常に問題と困難に直面している。われわれは常にあせっているので、それがわれわれの心をかたくする。われわれは時間をかけて心を柔かにし、彼らを愛し、彼らをあわれむことをしない。われわれは彼らをやさしく扱ってやろうとせず、急いで彼らを折ってしまう。われわれは彼らを倒れたまま放置し、決して彼らの状態を調べて、これをいやそうとしない。われわれは出血を見るのを楽しむかのように、病体にメスを入れる。これに反して、温和な整骨医は、なんとかして病気の根源を発見し、これをなおす自然的な方法を発見しようとする。われわれは、ガンの徴候らしいものがあると、すぐメスを入れて腕や足を切断しようとし、それをいやす方法を発見しようとしない。われわれは、火で熱した剣をもって患部を焼き、時には焼き傷と切り傷を一層大きくする。おお神よ、われわれが心をかたくなにしないように、われわれをたすけたまえ!
 6.かたくなな心には、きびしい非難の言葉が投げられている、−−「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。わたしたちは、神のさばきが、このようなことを行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う者よ。あなたは神のさばきをのがれうると思うのか、それとも神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。あなたのかたくなな、悔い改めのない心ゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現われる日の怒りを、自分の身に積んでいるのである。神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。どうぞ主よ、われわれがかたくなな心をもって人を裁くことがないように、われわれを助けたまえ。私は罪人であり、厳しく裁かれることを怖れるので、私も人を憐れむことは容易である。私が悪い者、失敗者であった時に、あなたはこれほども私によくして下さった。だから主よ、私はあなたがどんなに憐れみふかく、忍耐をもって私にやさしくして、私を助けて下さるかを理解できます。そして、これらすべてのことは、時間をかけなければならない。時間をかけないで、突然腕を切り落すような手術をすると、時には患者を殺してしまう! しかし、自然の方法には時間がかかる。−−たとえば、日常の食物の変更、景色の変化、励まして運動をさせること、調整することなど。盲目の人をやさしく手引きしてやること、あるいは心の弱い人々を理解することなどは、時間がかかる! あなたは人々を狭い部室に押しこめ、窮屈な上衣を着せて、そのひどい取り扱いのために、彼らをおこらせることもできるし、あるいは反対に、彼らの肩にあなたの腕をまわし、彼らを励まし、霊感し、あなたたちが彼らを信頼していることを見せてやることもできる。
 7.これには時間がかかる! われわれは時にはあまりにも急ぎすぎる。たとえば、ほんの小さい赤ん坊に本気でおこっているようなものである。彼らが成長するには、多くの年月が必要である。また彼らの両親は、時間をかけて、彼らが自分たちで食事をとることができるように、またトイレにひとりで行くようになれるように、教えてやらなければならない、−−愛と忍耐の年月が必要である。両親は決して短気をおこしたり、おこったりしない。そして子供たちが、なんでも自分でできないからと言って、彼らを放り出したりしない! 忍耐と愛をもつことができるように、祈ろう。霊的に、あるいは肉体的に障害をもつ人々に、親切にしてやることができるように、祈ろう! 食事を変えるには、あるいは運動をするようになるには、あるいは普通の人よりもっと多くの休息を取るようになるには、時間をかけてやらなければならず、−−われわれはそれを無理強いにやらせることはできない。それには時間がかかる、−−われわれは、われわれの最も醜い部分には、最も多くの関心を払うのである! 心の弱い人を慰めよ。あなたの心をかたくなにするな! われわれは、時間をかけることができるように、祈ろう! こんなふうにせっかちになるのは、信仰を欠いている証拠である、−−いますぐ、大急ぎでやろう、そうでなかったら、結局できないだろうから。われわれはわれわれ自身の力でそれをしようとしているのである!
 8.私たちがいまいるところに到達するまでの教育と訓練には、時間がかかった、−−それも最底辺で! われわれはこの下はない、というところにいた! 主よ、もし何かがなされなければならないなら、それをなされるのはあなたです! われわれは待つだけで、それをなされる唯一の方はあなたであることを知らなければならない! これは権勢によらず、能力によらずあなたの霊によってである! われわれが忍耐づよくなり、あなたと、また他の人々と、あるいはいろいろの障害のある人、体が弱く不具な人、あるいは幼な子たちと、−−あるいはわれわれ自身の指導者たちとさえ−−ゆっくりした時間をもてるように、われわれを助けたまえ! 時にはわれわれはわれわれの中のトップクラスにいる人々と、大きな危険と費用と困難をともないながら、数日間を経過することがあった! われわれは何回も彼らを切り捨てようとしたが、でも主よ、あなたは彼らを手離そうとされなかった。どうぞあなたの息子むすめたちに、時間のかかる忍耐と信仰をもつように教え、決してあわてないように、それは自分の力でしなければならないと錯覚して、無理しないよう教えて下さい! あなたに頼るべきこと、あなたがそれを立派にやって下さることを知って、あなたを信頼するよう、教えて下さい! すべての重荷を自分ではこばなければならないと思うと、気が変になるだろう。そしてある人々がもつ厳しさは、その気が変になった一つの形式である! それは極端に進む場合もあるが、この冷酷さは、われわれの眼をあなたからそらすことから起こるのである。あなたは、全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。
 9.主よ、私を許したまえ。私はたびたび短気をおこすが、それは私の眼をあなたから離すからです。時には私はかっとなって、他の人々を打ちのめし、彼らを自分の考えどおりに変えていこうとする。本当は、あなたが最善と思われる方法で彼らを訓練されるのに、委せなければならないのに!
 10.主よ、あなたの大きな忍耐に感謝します。あなたはわれわれに、最善のいやしには時間がかかることを示された。そして、それが一夜ではできないこと、禍いは根元から絶たなければならないこと、原因を矯正しなければならないことを示された。これらの外にあらわれた現象は、内部にある疾患の徴候である。われわれはそれらの疾患をけずり取るようにしてなおそうとするかもしれないが、実際は根本からなおさなければいけないのであって、それには愛が必要であり、深針でさぐり、マッサージし、やさしい感情で接しなければならない。すなわち、愛の手、憐みの手、やさしさの手が必要なのである!
 11.われわれが他の人々に忍耐づよくなれるただ一つの方法は、われわれ自身がいかに絶望的な状態にあるか、を知ることである! あなたはわれわれにとてもやさしくして下さる、−−あなたはわれわれの邪悪さを見のがして、われわれに忍耐と愛情をそそいで下さる!
 12.もしわれわれがこれらの子たちに何かを示すことができるなら、彼らにやさしさと穏和さを示し、彼らがどんなにわれわれの心にいとしいか、−−また主よ、あなたがどんなにあなた御自身の道から遠くはなれて、これらの迷っている小羊を救うために、あなたの手を岩やあざみによって傷つけていられるかを示すことを得させて下さい。われわれが彼らをわれわれの膝に抱きあげ、われわれの胸にだきしめ、彼らに力と健康を回復させ、彼らを健全なものにしてやれるよう、われわれを助けたまえ! われわれを助けたまえ、おお、イエスよ!
 13.感謝します、主よ! おお、感謝します、イエスよ! 主よ、わたしたちがあなたを見る時あなたのお姿は、忍耐、静かさ、愛、穏和、辛抱、強さそのものです。あなたははとのように、やさしく鳴き、やさしく求愛する。もし烈しい扱いや反抗にあうと、あなたは驚いて逃げ去る。あなたは誰にも、何も強制されない、主よ! あなたの聖霊はやさしく降りてきて、またやさしく立ち去られる。それは、望まれていないところには、決して降りてこない。
 14.われわれが、その獲物におそいかかってその爪を立て、それを食いつくすわしのようなものにならず、あなたの御霊のやさしいはとのようなものになるように、われわれを助けたまえ!
 15.主よ、あなたは小さい小羊の姿に描かれていられる、−−あなたはやさしい、穏和な小羊であり、−−まことに小さな、か弱い小羊である、−−決して猛獣ではなく、また貪欲な、無慈悲な、残酷な動物ではなく、−−穏和な、無害な小羊であり、それは自分が食べられて、他の者たちに生命と力を与えるための存在、−−犠牲の祭壇の上に横たえられ、自分を殺して他を生かす存在である! おお、やさしい神の小羊よ、われわれもあなたのようなものにならせたまえ! われわれにあなたの知恵、あなたの忍耐、あなたの憐れみをあたえたまえ!
 16.あなたの聖霊は、やさしく、穏和で、幼な子をあやす母のようである。父親さえも、こんなに辛抱づよくない。あなたは母親のように、上から見守り、待ち、なぐさめ、看護し、育成する!
 17.もしわれわれに何か知っているものがあるとすれば、それは愛である。人はわれわれを、われわれが彼らに対する返答を持っているものとして、またわれわれが彼らを助け得るものとして、信頼と信仰をもって見つめる。−−それは、あなたがわれわれの中にいられるからである! われわれは羊飼いのようなものであり、やさしい、求愛するような声と音調をもち、器用なやさしい指をもっている! われわれは傷心の人をいやし、傷を包んでやり、捕われた人々を解放する、−−暴力ではなく、穏和さによってであり、−−愛をもって世界を自分のものにするのである! もしあなたがわれわれにこの教訓を与えることができるなら、それは信仰よりはるかに大きいものである。たとえわれわれに信仰と知恵があり、異言とその解釈にすぐれていても、たとえわれわれが犠牲的精神をもっていても、愛がなかったら、われわれのはたらきは無である!
 18.あなたは言われた、わたしはあわれみを喜び、いけにえを好まない、と。われわれはそれが何を意味するのかを学ぶために、あなたと二人だけでいる時間をもたなければならない! 最も偉大な案内人は、その道を示す人である! われわれは見本である! 主イエスよ、われわれがあなたのようになるように、助けたまえ! そしてわれわれが敵(悪魔)と同じものにならぬために、−−聖徒達の非難者に、心かたくなな、残酷な、貪欲な人間にならず、−−神の柔和な小羊のようなものになれるよう、助けたまえ! われわれは、われわれがもつ信条のゆえに、しばしば心をかたくなにする。そして、これらの小さい小羊たちに忍耐を示そうとしない。われわれが人をゆるし、人のことを堪え忍び、われわれが欲しい憐れみを他の人々に示し、われわれが過ちをおかすとき、これを許してもらいたいように、人の過ちを許すことができるように、われわれを助けたまえ!
 19.あなたの御霊をわれわれから取り去らないで下さい! われわれを切り捨てないで下さい! あなたの愛と恵みの中で、われわれに憐れみを示したまえ! あなたの憐みによって、われわれを救いたまえ! われわれが救いに値いするからではありません。あなたが柔和でやさしく、愛と忍耐に富み、−−あなたが忠実でいられるからです!
 20.あなたたちのうちで最も大きな者は、すべての人に仕える者でなければならない。人の子が来たのは仕えられるためではなく、仕えるためであり、−−しもべとなるためであった! われわれも人に仕えられ、われわれが指をぱちっと鳴らすと、人がすぐ飛びあがるようになるのではなく、かえって人に仕えるものになるように助けたまえ! われわれも彼らのしもべにならなければならないのである。
 21.主よ、私達は、これらの小さい者たちの奉仕にさえ、まったくふさわしくないと感じています。彼らは、ごく小さいこれらの事柄をしながらわれわれに奉仕してくれるのであるが、これらの小さい事柄は、われわれの健康と幸福にとって、特にあなたの御仕事にとって、非常に重要なものであることを、驚異の目で見る! われわれは、これらの小さい小羊たちのやさしい愛の奉仕にさえ値しないと感じている。
 22.主が報酬を分配されるとき、われわれはどんなに驚くだろう! だれが果して大きな者であるかについて。われわれが急いでいるために足で踏みつけてしまうことのあった小さい者たちが、その謙遜のゆえに、大きな報いを与えられ、栄光に輝くのである。われわれは恥を負い、彼らはわれわれ以上に栄光に輝くであろう、主よ! われわれは、子たちがしたこれらのことは、とうていできないだろう。彼らはわれわれよりずっと大きい。彼らはわれわれ以上の信仰と、謙虚さと、勇気と、忍耐と、忠実さを持っている! われわれは最も小さい者である! われわれは多くの兄弟たちのうちで最も小さい者である。われわれは、主よ、あなたがどうしてわれわれを使うことができられるのかさえ、わかりません。どんな人でもわれわれより大きいのです、主よ! これらの小さい者たちは、みな聖人です! 彼らの聖人ぶりに、われわれは驚嘆します! 彼らの謙遜がわれわれを驚かせる! 彼らの犠牲は驚くべきものである! 彼らのうちのだれでも、確かにわれわれよりも大きい! われわれは彼らの下僕であり、−−われわれの義務だけをおこなっている、ふさわしくない下僕である!
 23.われわれは無です、主よ! もしわれわれに何かの善があるとすれば、それはあなただけです!−−われわれは何物でもありません。われわれの唯一の希望は、あなたがわれわれの中にいられる、ということです! われわれを助けたまえ、主よ! 人々の上に、彼らが負い得ないほどの重荷を負わせた律法学者やパリサイ人のように、われわれがならないように、助けたまえ! われわれが、ロで言ったことを実行に移さなかったような人にならないよう、助けたまえ! われわれが、教会のことについて非難すると同じ過ちをおおさないよう、助けたまえ! われわれが成しとげたことについて、われわれが慢心を起さぬよう、たすけたまえ!−−それは、あなたがわれわれを、適当な時に適当な場所に置かれただけである! われわれには全然信用はない。立派だったのは、それを出版した会社であった! あなたはこれらの放送会社をそろえてわれわれに奉仕し、われわれだけを待っていた。あなたは彼らを送り、彼らに愛と謙遜の手本を見せようとした! あなたは、彼らがこれらの子供たちの中にそれを見るであろうことを知っていた! 彼らはそれを指導者の中には見出さなかったが、これらの小さい小羊の中に見出した。これらの小羊は、羊飼いがどこに行こうと、それに従順に従うのである。主よ、そのことであなたに感謝します!(異言とすすり泣き)−−「われわれは手に何も持たない! −−われわれはただあなたの十字架にすがるだけである!」われわれは全然無である!
 24.彼らはほこりのダイヤモンドである。この世で一番小さい物である! 彼らは小さく、空中に浮遊している! 彼らはあなたの陽光を集める! 彼らはそんなにも小さく、軽く、無である! 彼らは輝いている物である! われわれは床にへばりついている泥のかたまり、あるいは床の上に上がることの出来ない岩や石のようなものである。われわれは床の上の泥であるが、彼らは、あなたの息が再び彼らを捕えて陽光の中に浮遊させるまで、われわれの上に休息する! われわれは床に敷きつめられたカーペットで、あなたが私達を輝かすために上にひき上げる! われわれは闇の中にあるが、彼らがその上に落ちる場所を提供する。われわれは無に等しく、目にも見えない! われわれは床を離れてばかな真似はせず、これらの小さい物を輝かせ、彼らが再び下りて来て休息する場所を提供する。われわれが彼らを失望させないように、たすけたまえ。われわれがそこにいて、彼らに休息の場所を提供するように、たすけたまえ。われわれが一歩下がり、彼らを輝かせるように、助けたまえ。彼らがあなたの御霊の息吹きの中で向きを変え、身をよじり、ころがるように、たすけたまえ。彼らが自分のものは、意志にしろ、すべて捨て、あなたの空中に浮遊し、ゆらゆら揺れ、きらきら光り、−−美しくあるように、たすけたまえ! われわれが注目の的の外にとどまり、彼らが落ちてくるとき、彼らを捕え、彼らが降りる場所を備えて置くように、たすけたまえ! 彼らはあなたの星である。これらの小さい者はあなたの星である、−−彼らは輝いているものである!彼らはあなたが用いられている者である! われわれはこぶだらけの土の塊りであるが、われわれは彼らに安息の場所を与え、あなたが彼らを再び用いられる時がくるまで、彼らをそこに休息させなければならないのである。彼らは地から、−−また床から−−出て来、また彼らはあなたの霊の息によって、空中に立ち昇る! 彼らは変り、輝き、また降りてくる! 主よ、われわれを助けて、彼らが降りてくるとき、彼らを再び捕えしめたまえ! われわれが彼らを叱ったり、われわれ自身を大きく見せたりしないように、たすけたまえ。われわれが彼らを、われわれ自身の考えで動かすようなことをせず、あなたの御霊の息が動くまで待つよう、たすけたまえ。われわれがそこにいるように、たすけたまえ、主よ!−−われわれが彼らの下僕となり、あなたがわれわれにそこにいることを望まれるとき、われわれがそこにいるように、たすけたまえ、主よ!
 25.彼らはあなたの子供たちである! 彼らはあなたの、身分の高い子たちである! われわれは彼らの下僕−−彼らの奴隷−−彼らの下女−−であり、われわれは彼らを待ち、彼らに仕えなければならないのである! 彼らはあなたの星である。彼らはこの、あなたのショーのスターたちである。われわれは緩衡物を準備するだけである。あなたはわれわれをごく普通に用いられる。ただ場所を準備するためだけに。−−われわれを用いて下さることを感謝します、主よ。われわれが彼らを喜んで受け止め、彼らに反抗してわれわれ自身を高く見せようとせず、あるいはわれわれ自身が空中に飛び出して、光の当るところに出ようとせず、隠れた、見えないところにいて、彼らを輝かせようとしていることに、感謝します。われわれは、われわれが無であることを知るのが、最高の知恵である。自分が何者かであると考える者は、全然無価値である。立っていると思う者は、倒れぬように気をつけよ。高ぶる者は卑しめられるであろう、−−始めの者は終りに、終りの者は始めになるであろう!
 26.われわれは対等の身分でさえない、−−われわれは下級のうちの最下級である! われわれは下僕であり、奴隷である! われわれが彼らを待つように、たすけたまえ! 母はその子にとって奴隷以外の何であろうか。妻はその夫にとって奴隷−−助力者−−以外の何であろうか! 牧羊者は羊の群にとって下僕以外の何であろうか。農夫は牝牛の傍で跪いて、彼女に奉仕する。そして牝牛は、彼女の足許にいる農夫に対しては、女王と下僕のような関係である。教師はそのクラスの下僕である。指導者は信奉者の下僕である。われわれは群の奉仕者、あなたの子供たちの奴隷でありたいと望んでいます。そして主よ、あなたは私たちの奉仕者でいられる。仕えられるためではなく、仕えるために来て、われわれを待っていられる! あなたは最大の見本である!−−あなたは謙虚と憐れみの最も偉大な見本である。

群のある者を叱責したあとの牧羊者の祈り
 27.主よ、私は今朝彼らを叱責したあと送り出しました。私は彼らを養ってもやりませんでした! どうぞあなたが彼らを養ってやって下さい! あなたが彼らを慰さめて下さい! 私は急いでいるときは、いつもこんな失敗をします! 私は彼らを叱責する時間があったのだから、その代りに、彼らを愛してやればよかったのだ。彼らはどんなにがっかりしているだろう! どうぞ私を許して下さい、主よ! どうぞ彼らを助けて下さい! 私は失敗したから、あなたが彼らを励まして下さい! 父親が子供たちを叱責したあと、母親が励まし、慰さめるように、聖霊によって励まして下さい、−−イエスの御名において! どうぞ許して下さい、主よ、どうぞこれからは、もっと立派に行勤させて下さい! どうぞ彼らを励まし、霊感し、教え、あなたの御手をもって彼らを導いて下さい、主よ! 父よ、感謝します! 主よ、私がもっと良い牧羊者になれるよう、助けて下さい!
 28.彼らはずいぶんよくやった。ずいぶん働き、立派な仕事をした、−−予想された以上に。(牧羊者は額を床にすりつけて泣く)−−彼らを叱ったことで、主よ、私をゆるしたまえ。彼らは叱責が必要なことは確かである。しかし叱責のあとで彼らを励ましてやらなかったことで、われわれを許して下さい。私が彼らにもっと大きな関心と愛情と思慮深さをもてるよう、私をたすけたまえ。私が彼らを叩き落すだけではなく、彼らを持ち上げることを学ぶように、たすけたまえ、−−彼らの頭を上げさせることができるように。イエスよ、私が彼らの重荷に更に分け加えるのでなく、それを分担する者になるよう、たすけたまえ! 彼らを助け、彼らを強め、彼らに憐れみと愛と喜びを与えたまえ! おお、イエスよ、われわれはあなたを何より必要としています!(牧羊者泣く)−−私自身こんなに失敗者であるのに、どうして、人を叱ったりすることができるのだろうか。憐れみたまえ、主よ、憐れみたまえ! 私がもっと愛情ふかく、もっと親切で、もっと憐れみをもち、もっと忍耐ぶかくなるよう、たすけたまえ! 私が 威丈高になったりしたことを許したまえ。あなたのしもべたちが従順でなく、あなたのお仕事を忠実にしないのを見ると、私たちはついかっとなってしまいます。ある意味では、それは私自身の過ちです。私はリーダーだから、私はそこのけじめをつけなかったかもしれない。それをもっと単純にするように、私をたすけたまえ。彼らがもっと簡単に理解するように。主よ、私は何も知らない。私は無益なしもべである。どうぞ私をゆるし、私をたすけたまえ。私はこのままではいたくない! どうぞ私を謙遜に、心砕かれた者となり、あなたに頼るものとならしめたまえ、主よ! 私があなたの子たちを強め、あなたの群を養い、彼らを導くことができるよう、私をたすけたまえ。これらの手紙が彼らに取って励ましになりますように。われわれは彼らのことであなたに感謝します。しかしわたしは肉体的にも弱く、また私の弁説もさえません。ただ私の言葉は、あなたが私を通して語られる、あなたのお言葉です! どうぞこの食物を祝福したまえ。どうぞこれによって彼らを養いたまえ! どうぞそれによって彼らの傷をいやし、彼らを高めたまえ。どうぞ彼らがあなたの御顔を求め、あなたの御側にいる喜びを見出すよう、彼らをたすけたまえ。あなたは、御霊によって、偉大なる羊飼いでいたまう。私たちが心をかたくなにせず、尊い主よ、あなたによってやさしく隠和な者になるように、たすけたまえ! われわれに、この仕事を仕遂げる力と、知恵と、愛を与えたまえ、−−それによって彼らがあなたの愛を感じることができるように、−−そして彼らがその頭をあげ、彼らが幸福と喜びと霊感と力を得ることができるように、−−イエスの尊い御名によって祈ります! アァメン。