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人生は思ったようにはいきません。
昨日まで何もなくうまくいっていたような「私」
しかし今日は何かが違い、歯車がかみ合わなくなり、
思わぬことが重なり不安が胸をしめつけ、明日を思うと、大きな闇に飲み込まれそうになる今!

誰に助けをもとめたらいいのか、・・・そしてもう希望すら見えず、もうここまで
昨日がまるでうそのよう、あれは夢だったのか
これからどうなるの
今までしてきたことは
一日は長く、そして夜もまた長い
眠れぬ夜
朝がくれば、夜が来ることが怖い
不安が意味もなくふくれあがり
今は意味もなくこころを闇でおしつぶしていく
なにかにとらえられてしまったように
もう行き場所も逃げ場所もない
・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・こんな気持ちを今感じ、圧倒されているのはあなただけではありません。
病気の不安、経済的不安、そして人間関係、恋、人生設計、子どもの世話、将来、

もしかして私は嫌われ、生きていく価値があるのか
今までの過ちを悔やんで、もう戻れないと思っているのか・・・・
今このとき世界中のどこかで、あなたと同じ暗闇の穴の中でもがき、
恐れと不安に絡まれ、身も心も疲れきっている人がいます。
ちょっと時間を下さい。

人生は問題の連続・・・そう知るだけでも変わります。
問題の中にすわりこんでいたいのでしょうか・・・それとも!

希望は失望に終わることはありません。
かならず何か道はあるものです。
聖書に「神はあなたが耐えられない試練にあわせることはないとあります。」
朝日は最も暗い闇の後にやってきます。そして曲がり角を曲がれば、今まで見えなかった解決が見えることもあります。曲がり角はすぐそこかもしれません。でも今は見えないのかも。
でもまって下さい。

毎日朝日が昇るように、必ずあなたの心にも朝日が昇ります。
あなたは一人部屋の中、暗闇の中でもがいているのかもしれません。
その扉の向こうに、助けの天使が待っているかもしれません。
ただドアを握り、ただそっと押してみてください。
もしあなたのその力があるなら、あなたの心次第で先へ進めます。
そしてあなたは一人で抱えていませんが
そのことをだれかと一緒に負えることかもしれません

一人だと負えるものは一人分
今、一分一分息するだけでも精一杯
でも一緒に重荷を負える人がどこかにいます
さあ、こころを落ち着け
そんな人を思ってみましょう

家族のことなら兄弟
仕事のことなら仲間
そしてだれもいないなら友達
それもいないなら

・・・電話相談でもいいのです!SOSを発信しましょう!
おなたの話を聞いてくれる人がどこかにいます
あなたの荷を一緒に担いでくれる人を探しましょう
それがつながり
そしてあなたもだれかを支えることができるのです


自分の思いや心をかえる
それはほとんど不可能にちかいことです
自分の筋肉の力だけでは、むりなことです
だからがっかりしないでください
てこと同じです、シーソーと同じです
あなたと向かい合って、向こうに誰か座ってくれたら
あなたは上にあがります
あなたと同じ体重の人でも、足をちょっとけるだけでシーソーはあがります
それはある本との出会いや、映画だったり、そして人との出会いだったり
ふと聞いた音楽だったり
自分ひとりではシーソーはピンとも動きません
でもだれか向こうに座ってくれただけで
ギッコンバッタン
あせらないで、ゆっくり、まだまだ時間があります
どきどきしているのはあなたの心臓だけ
まわりはゆっくり
だからあなたもゆっくりあせらず、あきらめず

どうしても暗闇から逃れられないなら
SOSはこちらまで




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ちょっと心のいきをとめて下さい
きっと今、最悪のことを考えてはいませんか
まだ起こっていないことがすでに起こったかのように受け止めていませんか
あなたの肩がどれだけの荷を負えるかはかぎりがあります
そこへ負える以上のものをのせていませんか
恐れるものは二度苦しむとあります
恐れそして苦しむことのないことのためにあなたは今気をもんでいませんか
あなたが負う事のできることしか人生には起きません
あなたが運べるものしかあなたの肩にはのせません
なぜなら神は愛だからです


万事は共に働いてあなたの益になる!

  クリスチャンが理解し、常に心に留めておくべきことの中でも、もっとも励ましになり、心の慰めになることの一つ、−−特に、トラブルが起きた時や、厳しい試練を味わっている時に思い出すべきこと−−それは、天の父は、私達を愛しておられ、私達の人生を絶対的に、そして全面的にコントロールしておられるということです! 天の父の御心でないことや、天の父が許されなかったことは、私達には絶対に起こりません! ですから、どうしてそんな試練を味わっているのか、自分ではわからないことがあっても、神は、ご自分のなさっていることが良いことだと知っておられるのです! すべてのテストや、試練や、災いの背後にある、あらゆる目的や理由を神は知っておられるので
す。
  神は、聖書の中で、「神を愛する者達には、万事が共に働いて益となる。」と約束して下さいました。−−ローマ8:28。万事、すべての事が益となるのです! 神は、神の子供であるあなたに、益とならないことが一つでも起こるのを許されません。もちろん、「何てことだ! 良くないことばかり、私には起こる!」と言いたい気持ちになるかもしれません。でも、遅かれ早かれ、何らかの点で、それがあなたにとって良いことだったことがわかったでしょうし、あるいは、いつかわかるようになることでしょう!
  次の話は、このことをわかりやすく説明する、素晴らしい例です。

  ある寒い冬の朝、ニューファンドランド島の東海岸にある小さな港から数隻の漁船が出航しましたが、午後になって大嵐に見舞われ、夜になっても、1隻として港に戻ることができませんでした。
  妻や母や子供や恋人達は、一晩中、海岸を行ったり来たりしながら、心配のあまり手を握り締め、愛する者を救って下さいと神に呼び求めていました。さらに悪いことに、民家の一つが火事になってしまいましたが、男達が皆出ていたので、火を消すことはできませんでした。
  夜が明けると、漁船がそろって無事に港に帰って来たので、みな大喜びでした。けれども、その中に一人だけ、絶望の表情をたたえた女性がいました。火事で家が焼けてしまった男の妻です。  夫が陸にあがってくると、彼女は泣いてこう言いました。「ああ、あなた、私達はもうおしまいだわ! 家も何もかも火事で焼けてしまったんですもの!」けれども、驚いたことに、夫は喜びの声でこう言ったのです。「その火事を神に感謝しよう! 漁船をみな、港に導いてくれたのは、燃えていた私達の家の炎だったんだよ!」

  イエスは、「わたしは世の終わりまで、いつまでもあなたがたと共にいる。」と言われました。−−マタイ28:20。 また、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」とも約束されました。−−ヘブル13:5。最も暗く、最もつらい試練を味わっている時にも、主は常に「兄弟よりも頼もしい友」でいて下さるのです!−−箴言18:24 「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」−−詩篇23:4 どんなにつらい人生の転機にさしかかっても、イエスはあなたと共にいて下さるのです。イエスはあなたのことを気づかって下さり、先が真っ暗に思え、最も落胆させるような状況をも、あなたの益として下さるのです。イエスはそう約束して下さったのですから!

時々私達は、人生における決断の岐路に立たされ、
その先は行きどまりのように思えることがある。
しかし、神には、もっと先まで見ることができ、
それは、道が曲がっているからにすぎず、
道はその先なめらかになると教えて下さる。
歌の小休止は、ただ一息つくためにある。
まだ歌われていないところ、これから歌われるところこそ、
最も甘美で、豊かで、最善のところ!
だから、一息つき、リラックスし、力をつけなさい。
神に任せ、神に自分の荷を背負って頂きなさい。あなたの仕事は、まだ終わっていない。
ただ、道の曲がったところに来ただけ!

  主は私達を愛しておられ、私達が主に従おうとベストを尽くしているなら、主も、私達を助けるために、喜んで最善を尽くして下さるということを私達は知っています。だから、物事があまりうまくいっていないとしたら、それは神が間違いを犯されたからではありません。それは、神が私達に何かを教えようとしておられるか、あるいは、私達が何かのことで失敗したか、何らかの形で物事のやり方を間違ったか何かで、私達が的外れのことをしていたせいでしょう。
  ですから、物事がうまくいかなくなったら、まず第一に、主に目を向け、祈り、何が間違っていたのか、どうやってもっと良くやることができるかを尋ねなさい。あるいは、自分が何らかの間違いをしていたからなのか、それとも実際に主に従っていなかったからなのかを尋ねなさい。
  聖書には、「いわれのない呪いは、下らない。」とあります。 (箴言26:2) つまり、トラブルや事故や問題などが、クリスチャンに「偶然に起こる」ことはないということです! クリスチャンには、何も偶然には起こらないのです! 悪いことのように思えることが私達の身にふりかかったとしても、それは、目的や理由があって神が許されたことなのです。その目的や理由が、すぐには私達に示されなかったり、私達にはわからないこともありますが。

神の子供達には、何も偶然には起こらない
すべては、素晴らしいご計画の一部
困難、挫折、悲しみ、懲らしめは、
偉大な彫刻家である神による一削り

神の子供達には、何も偶然には起こらない
青写真は、神の御手によって作られた
あらゆる詳細は神の御子にならってデサインされた
だから、すべてはご計画に従って起こる

疑いや恐れ、落胆や不平は、死をもたらします! しかし、信仰や信頼、勇気や主への賛美は、生命をもたらします! ですから、試練や試みを大きな心で、さらには感謝して受け止めましょう! 主は、私達が耐えられないような試練には決して会わせない、そして、それから抜け出す道も備えて下さると約束されました。あなたが主に呼ばわり、助けを求めるなら、主は常に、試練を耐えやすいものにして下さるか、あるいは、少なくとも、あなたがそれに耐えるのを助けて下さるのです。主はこう言われました。「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は忠実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、それから抜け出る道も備えて下さるのである。」−−第一コリント10:13

だから、いつも覚えていて下さい。主はあなたを愛しており、そして、人生の最も暗い時期というのは、しばしば夜明けの直前であるということを! どんな試練があなたの身にふりかかろうと、あきらめず、望みを捨ててはいけません! 試練の時には、イエスに助けを求め、主の約束にしがみつき、その実現を要求し、主の言葉を信じなさい。主は、あなたがどんな試練を経験していようと、それが真に共に働いてあなたの益となるようにすると言われましたし、実際にそうして下さるのです! 神はそうせざるを得ません。ご自分の約束だからです! 主は決してあなたをがっかりさせたりはしません! アァメン? あなたに神の祝福がありますように!

イエスは気にかけて下さっているだろうか?

イエスは気にかけて下さっているだろうか
私の心が傷み、喜びと歌を切に求める時に
荷は重すぎて、悩みに沈み
長い道のりに疲れきってしまう時に

イエスは気にかけて下さっているだろうか
私が言いようのない不安や恐れに襲われ、
  暗い道を歩む時
昼のあかりが夜の闇に包まれる時、
そばにいて下さるほど、
  イエスは気にかけて下さっているだろうか

イエスは気にかけて下さっているだろうか、
強い誘惑に抵抗しても空しい努力に終わった時
深い悲しみはいやされることなく
夜もすがら泣き悲しむ時に

イエスは気にかけて下さっているだろうか、
私が最愛の人に別れを告げる時
悲しみに胸が張り裂けそうになる時
それは、イエスにはつまらぬことなのか?
イエスは見ておられるのだろうか?

そう、確かにイエスは気にかけて下さっている
イエスは私の悲しみに心を痛め
辛い日々、憂いに満ちた長い夜に
気にかけて下さっていると、私は知っている。
フランク・G・グラエフ

神の約束
澄み切った夜空が
星で輝くように
神の大きな愛も
その約束の中に輝く
わが囚われの人生に
約束は優しくさしこみ
柔らかな光に目はくらまず
その祝福された約束の光で
天まで届くはしごを神はかける
その黄金に輝く横木に
われらは一歩一歩足をかける

−作者不明

さあ、少しは光が見えましたか
あなたの考え方、そしてこころの持ち方はどちらかというと悲観的ではなはなかったでしょうか
まだ起きていないこと
ただ心の中の不安が大きな山になっていませんか
今、深呼吸して、こういってみましょう
まだまだ
今に思いを集中しよう
明日のことも、一時間先のことも考えない
ただ今を思う
空は晴れわたり、雨はふっていない
今はもしかして夜でも
まだなにもおきていない
わたしはただ恐れを恐れている
恐れよ立ち去れ
わたしは恐れない
なぜならおまえはただの恐れ
ないものだから
わたしの一歩一歩に主の恵みがある
わたしは一歩一歩これから歩む
それこそ本当にあるものだから

そしてこの暗闇と恐れからぬけだす一歩は
あなたから
あなたのまわりで悲しむ人を
助けることから
わたしからぬけだして
誰かとつながる
悲しみをやわらげ
おそれをけしさり
そしてあなたが後ろからおしてあげること
そしたらあなたは悲しみも恐れも一歩こえたところを歩いている
もう恐れも悲しみもあなたにふれることはできない
あなたは逃げたのでなく立ち向かったのだ
そして恐れや悲しみがあなたから逃げ去ったのだ
あなたの流した涙は輝き
それは誰かの幸せの力となる