今、手にする写真機はいろいろだがライカM3。ライカM3にカラーポジを詰めて、カラーでスナップから風景まで撮る、今はまだ修行時代。そしてニコンデジタル一眼レフD70も持ち歩く。ほとんどはM3にズミクロン50mmf2の組み合わせのみで撮影。デジタル使用の目的は経済的性。数を撮り、自分のイメージ表現練習機として大活躍。それがM3の手動撮影になぜか活かされていく。その日の目的に応じて、ニコンF4sも持ち歩く。これはしっかりものなので、雨や雪、暑さ、寒さ、砂塵など環境が厳しい条件の時。じっくり絵作りするときはマミヤ645と6×9判も使う。最初のカメラは中学、天体写真に熱中したときにバルブがついていればいいと買った一番安かったペトリV6U、唯一使うシャッタースピードは「B」バルブ。フィルムは当時(30年前)のトライX400。ひたすら漆黒の空を撮影した。フィルムの現像をする。引き伸ばし機までは買えなかったので、そのネガを眺めては黒い点のしみや集まりとなっている星雲や星団の像を眺めた。あるときネガフィルムをある角度とある光の状態にすると、反転してプリントした状態と同じポジ状態でみる方法を発見!それが最初の写真実験だったと思う。30年経った、最近それに偶然成功した・・・一瞬。それでもシャッターダイヤルに500分の1秒までついているので、もったいないと天体少年仲間が電車に乗って写真を撮りに出かけた。当時は蒸気機関車に乗って、仙台から山形、福島へと一日旅行をした。平泉にも足を運んだ。蒸気機関車がなくなるなんて、思いもしなかったので、トンネルに入ると窓を閉めなくてはいけない面倒な機関車をばかにした。今思えは、貴重なシャッターチャンスを失った。しかし心のフィルムにしっかりと写真は残っている。ただそれを自分以外に見せることはできない。
天体少年仲間のひとりが花が好きで、育てていた。その鉢を田んぼの天体撮影基地の裏の田んぼの稲穂の中に置いて、芸術家気取りで、静物画写真を撮ったりもした。フィルムはエクタクローム。そしてモノクロで空の写真を無数に撮った。蔵王山脈から仙台平野へ流れる大気はすばらしい空を描いた。その空を雲を無数に撮影し、現像し、ネガを反転させてみる術で、プリントすること無しに写真を見た。
30年の時を経て、カメラを取り戻したとき。パソコンとスキャナーとプリンターという、創造すらできなかった機械も手にした。ネガやポジからプ写真紙の上に自家プリントすることができるという夢が現実になった。もうネガ反転透視法はいらなくなった。でもたまに成功すると魔法使いのような気分になる。そしてインターネット・・・もう写真の可能性は止まらないが、しかし写真は写真だ!紙(神)があってこそ写真!
さあ、それで「青い森の写真家」は何をするのか!この地獄を知り尽くした世界に天国を見せること!それが私の写真実験。でもなかなかそれは難しい!でもそれは忽然と目の前に現れる。私には天国でも他の人にはどう見えるのか。それは私の幼き心に刻まれた希望を見ているときなのかもしれない。
レンズを通して見ているのは、本当は私の内側かもしれない。私の心から発した光と影がフィルムに結像しているのかも。
音楽家バッハが言った「音楽は神をほめたたえるためにある」
わたしの写真はそこに愛の神がいることをフィルムに捉え、それをプリントし、そして見てもらうこと。問題があるのが人生。だからこそ人は愛を与え受け、そして生きていく。そして神は愛、人生は地獄や苦難連続だが、心のあり方で天国がたくさん見出せる。すっぱいレモンからレモネードが作られるように、その苦味から甘い喜びが生まれる。苦いカカオから甘いチョコレートケーキができる。それを写真に撮れたらなら、神をほめたたえよ!苦難の連続、そして思い通りいかないのが人生、だからこそ夢を持ち、希望に叶うと確信し生きる。そんな後ろを向かい無い人生が「愛」かも、さあ・・写真になるのか?
青森市の合浦公園の砂浜・・・よく写真を撮りに行く。なぜならそこには幸せな人がやってくる。
真冬の日、こんなしあわせな光景を目にした。
私が信仰の光を求めていたときだった。
何度も足を運ぶ弘前の階段!私の特製写真フレーム!そこへいろいろな人がやってくる。その人が来るときと私がそこへいることで写真ができる。子どもが私を見た。
↑ホームセンターの捨てられた雪に埋もれた星条旗!アポロが月面に立てた星条旗よりドラマチック!
ちょっと声をかけたら、OKだった!遠い街での出会い、おせんべいをかじる二人、ただただ、素直に幸せだった。友と一緒の、ただなんでもない時間。それは心を洗う・・・って。
ここは東京原宿。宣教師になりたてのころ、毎日伝道に来たところ。今も東京に行けば必ず行く。自然に囲まれて暮らしていいる私は、心休めるために都会へ行く。実は都会も好きだ。数え切れぬ人間が、決まった空間にあふれるように生きている。それは恐れから身を守り、安全なように思い込んでいるからだ。仕事があるから都市に集まる、食べるために、集まる。するとそれが生きる目的になる。夢がつかめそうだから、そこに集まる。だからはらぺこと、夢見るまちだ。
青森にも都会はある。弘前での出会い。
ダウンタウンの橋の下で、大声で素敵な歌を叫んでいた女の子がいた。ただそれだけで幸せそうだった。⇒
春を待つベンチ・弘前城
五所川原には水田に水を引くための溜池が多くある。春になると満々と水をたたえる。一年に一度の湖⇒
←左写真:弘前城桜祭りスナップ,おみくじを見る人。スナップ写真を撮っていても安心して撮影できる。花もほころべば、心もほころぶ。五所川原の用水池が満杯になること桜祭りは始まる。
桜が咲く時期、新しいバイバスが海を渡っていた。完成真近のホタテ橋。夏泊半島を橋げたより望む!
新しい橋ができるころ、津軽鉄道のラッセル車は廃車真近。資金難のため、左はその内部。後ろの車両は旧客車、花見客を満員で運んだ。今は解体費用すらない。さびしきローカル線、しかしあきらめずローカル線はひた走る。
青森からも消えていくものが有る。モダンなビルもアパートも今は古びれた壊すお金も無い廃屋に・・・・、そこに立ち寄ったそして住んだ何人もの人・・人・・・もう記憶にはないのだろうが、建物は覚えている。無言で今日も雨風と太陽の光にさらされ人間がどうするのかも気にせず、今日もそこに建っている。それもレンズでとらえたい。
40年前のZorki4がとらえた2007年の青森
カメラは見る、見る、見る、神の目のように、黙々と見る
私のライカM3,かばんに入れずにいつも外につるしておく、そうするとカビにやられることはない。大事にしまったおくより、消防士のようにいつでも出動OK!
コニカautoS2で撮影した夏の一コマ、母と子!レンジファインダーカメラはスナップに最適だ。
青森駅前のもみの木
青森駅前にそびえたつビル「アウガ」