私のカメラ&アルバム
銀塩カメラはひとつ買えば、何十年も使えます。わたしのカメラも50年から20年前のものです。天地創造の時からあるガラス。それが掘り出され、精製され、形成され、磨かれ、レンズとなり、光を結び一枚のフィルムの上に像を描く!銀塩カメラには時の流れはありません。
レンズは人の命以上に生き、そして正直に、そして変わることなく見たものを伝えます。
デジタルも使います。経費節約の時に、そしてバシバシ撮るときに!SonyDSC-S85はいつも持ち歩くスナップシューター。
わたしがカメラを再び手にしたのは、澤田教一・ロバートキャパ展で澤田のM3を見たとき。いつか同じカメラで、同じ思い出写真を撮りたいと思ったから。あれから10年後に友人の好意で不可能と思っていたM3がやってきました。それまでは練習にとニコマートELに短焦点レンズを付けて練習、そしてゾルキーというソ連のカメラでレンジファインダーの練習。
無駄にはなりませんでした。
ニコンF4s自我自賛カメラ、35mm判ではこれが最高のカメラだと思っている。ニコンのレンズは全て使える。雨天、荒天用、吹雪、嵐の中、F4が活躍する。晴れの日は休み(1988年製)
1950年から53年の間製造されたローライコードV、レンズはツアイスのトリオタールという珍しいレンズ。6×6のフォーマットの風景写真を見てこれだと直感!偶然にも手に入る。写りはこれです。古いレンズは特別な絵の具筆のようです。現代のレンズは高性能でどれも同じ、古いレンズは数字ではなく職人の手で磨かれたもの。そこにはその職人の仕事と時間が色や諧調となって現れる。
「求めよそうすれば与えられるであろう。探せそうすれば見出すであろう!」とマタイの福音書にイエスの約束があります。宣教師の生活でライカM3をどのようにして手にするのか?でした。
今年友人の好意で手にすることができました。神様が運んでくださったのですが、1957年製のダブルストロークの最後のもの、そしてレンズは希少品であるロットのズミクロン50mmf2.、しかしそれはあまり関係はない、写真のためのカメラ、そして丈夫なライカ!今はこれでほとんどの写真を撮影。・・・もちろん雨、吹雪、以外は・・それはF4に任せて。
澤田教一は青森出身のピューリッツア賞受賞カメラマン、それを知る青森市民は少ないです。この同じカメラを持って澤田はベトナムを駆け巡りました。私は同じことはできないけど、宣教師として霊的戦争を戦う心の戦士を撮影したいという思いが強くあります。幸い武器による戦争は日本ではありません。憲法9条です。しかし多くの霊的戦争が戦われ、命を落とす人がたくさんいます。それを日々戦う勇敢な人々がいます。それは誰にも知られない戦士です。それをこのレンズとカメラは捕らえられるだろうかと・・・・!澤田は私の目標であり、道しるべ、そして通り道です。
これは練習用のゾルキー4U、価格は20分の1しかし写りはM3に劣らない。レンズはジュピター50mmf3.5。






















一台のカメラと一本のレンズ!
それが目標だったのにいつのまにか
古いカメラに囲まれた日々!
昭和51年一度は忘れたカメラ、それを再び手にしたのは平成11年、それは写真家になりたいという外国人の友人の娘さんをホームステ−させ、青森の自然の中で写真を教えて。彼女は今はお嫁さんに、そして私が写真家に!友人の娘さんが持参したカメラはキャノンのA1、それでさえ、たくさんのボタンやダイヤルに戸惑い、その隣でニコマートFTnを操作する自分。
ライカのM3とズミクロンの50mm、それを使いこなせるように練習しようと思い、集めてしまったのが今の機材。
今はボディー一つにレンズ一本で歩く!
デジタルカメラは昔はCCDカメラと呼んだ。フィルムカメラとは別の機械として天体観察では考えられていた。フィルムカメラとデジタルカメラ、同じ形はしていても、機械としてはまったくちがく物だと思う。フィルムとデジタル写真は肉眼には同じでも、機械としてはまったく別世界だと思う。その根拠はフィルムは物質として存在するが、デジタルは物質としては存在しない。コンピューターのアルゴリズムの演算によって作られている仮想世界、マトリックスに存在すると考えれれているもの。フィルムは手で破るか、火をつけて燃やすとか、切り裂くとかしない限り、破壊することはできない。しかしデジタル画像はもともと物として存在していない、数字のデータの塊、それをコンピューターが並べてくれて画像になる。そしてまた数字の羅列になる。光を集めてはいないからカメラオビュスキュラとはいえない。光の一つ一つの強さのデータを縦横に順番い並べた数字。
フィルムは光の下に持っていけば、そこに画像がある。レンズで光を集めた痕がしっかりと、画像として紙やフィルムに刻まれている。
デジタルはCCD電子画像記録装置。特にその目的は経費節減と印刷技術のデジタル化に伴って使用されるようになった画像記録装置!だと思っている。
印刷や広告、雑誌、出版の世界では大変革をもたらした。そして誰でもきれいに画像を記録できるようになった。それは素晴らしい!しかし、フィルムで撮影するカメラが「写真機」だと一人思うこのごろです。
カメラは一台買えば、一生使える。デジタルカメラはコンピューターや電化製品と同じ。いつも買い換えないと時代に遅れる。しかし写真機は時代に遅れることは無い。そしてモノクロネガにいたっては保存は永久に近い。いつでも最新のプリントを作れる。そしてどこに置いたか忘れない限り、画像を紛失することはない。まさに有って有るものそれがフィルムだと思う。ただ経費を考えずバシバシシャッターを切れる、デジタル一眼は撮影のいい練習になる。しかしデジタル一眼もシャッターに寿命が有る。私は一年で使い切ってしまった。しかし保証で無料で新品のシャッターに交換されて帰ってきた。これからの出版、メディアの世界はデジタルカメラに必然的になる。そしてデジタル画像は新しい画像表現としての手段となっていくだろう。とくに今の経済性が大切なときにおいて、デジタルカメラはとても経済的であり、また技術の進歩もあり、人間の目にはフィルム写真と変わらないものとなってきた。そして写真の利用の場が紙面だけでなく、インターネットの普及によりコンピューターのモニターや液晶画面と多様になった。そこではよほどの眼力が無い限り、フィルムかデジタルかを見分けることはできない。しかし写真機が発明されても絵画がなくならなかったようにフィルムもなくならないことを願う。
私のCCD式電磁画像記録装置 SonyDSC-S85
ニコンD70にタムロンレフレクス500mmをつけ海の波のイメージを捕らえる(青森港)
実験写真:マニュアル撮影
写真実験室ではデジタルによる(CCD記録素子)電子写真画像表現を試みている。TOPの写真の半数はデジタル一眼レフやコンパクトデジタルカメラによる撮影である。
下の写真↓
友人からの好意でM3とやってきたユニバーサルマミヤ6×9判。その写りはやはい圧巻だ。雨の降る日、八甲田の森に入り、露出1秒f8で撮影。一枚にすべての空気と時をこめる。写真機を操作する喜びのひととき!神様に感謝!
ライカM3で撮影、ソフトで文字を入れる
マミヤユニバーサル6×9判で手動カメラ!寝台車、1/500秒がしっかりと切れる。
ユニバーサルマミヤを手持ちで森の中へ
雪が雨にかわる
そこにその森の主のだけかんばが鎮座しわたしを見下ろす
わたしは畏敬をこめて、シャッターチャージレバーを引いた
露出は目測
結果大幅な露出オーバー
しかし結果は神のみ手の中
思いもよらぬ写真となった
6×9判ファイルサイズは7591×5000=3795万画素
フィルムはそこにいのちや木の木霊まで写す
フィルムカメラに古いという言葉はない
いつも前線のカメラだ