心理相対性理論 前のページに戻る⇒
アインシュタインの相対性理論と聖書に基づくユニークな仮定!
精神障碍者を理解する一つの仮定として
三男が統合失調症を発症したことをきっかけに、いろいろ学んだことの中間結果です。
精神障害の解明の仮定のため、一般の心理学ではなく、障害学としての性質が強いことをご理解下さい。
まとめではなく、仮説の羅列のようでまとまりがありませんが、何かのヒントになればと願っています。
以下の記述はそれぞれが関連しているのではなく、様々な仮定の提示です。まとまりのある文章になっていませんが、ご理解をお願いいたします。
私が思いついた様々な仮定のメモのようになっています。一つ一つが線で区切られています。その為重複したり、違いがあるものもあります。
前置き
中学校の理科の実験で物体の落下の実験をしたとき、衝撃的な驚きと喜びとを発見をした。物理法則が物体の落下を正確に描いていた。まさにその物理法則通り物は落下していった。人間の心にもそのような物理法則がある。世界の歴史から人の感情まで網羅する一つの理論がありえる。そう思ったのが15歳のときだった。そしてそれから28年後、とある病院の待合室に置いてあった科学雑誌を手にして読んだとき、あるアイディアが思い浮かんだ。それが心理相対性理論。
そのアイディアはアインシュタインの一般相対性理論が人間の精神にも応用できるというものだ。
それは時間空間が絶対的なものではなく、それぞれの立場で時間の進み方が違い、空間がゆがむという事実だ。時間と空間は関連しあっていて、時間と空間が造る場を時空という。質量が発生することで空間がゆがむ。質量に引かれて空間が縮む、そして時間が遅くすすむ。それが重力。脳内に新たな質量を持った物質が出現し、それが重力を発生し、その周りの空間(時空)をゆがめ、その人自身の感覚の時間の進み具合と空間の感覚、つまり時空の感覚がゆがむことになる。
ひとりひとりがそれぞれのゆがみを持ち、そのゆがみが互いの理解や感覚の違い、思考の違いを生み出し、それを理解しがたいものにしている。その理解のためにコミュニケーション、意思疎通が必要となる。そしてそれがあまりにも自分の周りの一般的なものとかけ離れたものになるとそれが精神の障碍となる。
心、精神、魂といった言葉で表現される、人間の精神活動は目には見えない。それが物質的なものであるというのが現代の医学的生物学的見解だ。心理相対性理論では目に見えない精神活動が4次元エネルギーの働き、またはその機能は4次元の機能だと仮定する。精神、心、魂、あるいは霊という4次元的生命があると仮定すると、その表面は3次元となる。3次元のわたしたちの体の表面が皮膚という平面2次元で囲まれているのと同じで、3次元の肉体が4次元の霊、魂、精神、心といわれるような目には見えない4次元の生命体の表面となる。
脳のそれぞれの部位が4次元的性質をもつ心の表面であることから脳の各部位はそれぞれ心の機能に連携している。逆に脳の各部位の3次元での働きは4次元的性質の心の働きに反映される。人間の命は4次元の生命体であり、それが3次元の実体ある物質として肉体として表出しているのです。そして人間の寿命、あるいはこの世で存在しうる期間は4次元の生命体である心(または魂)の3次元で放出することのできるエネルギー量であると考える。例えにすると人それぞれ水の中で泳げる時間は違う。その人が持っているエネルギーを水泳という運動エネルギーに転換できる相対的量が個々で違うように、心または魂というよう4次元生命エネルギーを3次元で生きることのできる3次元的命のエネルギー(寿命)に転換できる量は個々で違うということだ。
そのエネルギーの消費が日々の生活であり、そのエネルギーを消費したとき、3次元での死となる。
さて4次元的生命はそれではどんな次元に存在するのか。3次元の肉体を持つ人間が存在する世界は4次元の世界だ。つまり宇宙は4次元の空間の中にある。この理論を適用すると4次元的生命である心、精神、魂、霊と表現されるものは5次元の空間に存在し生存していると仮定できる。
これが5次元理論だ。
そしてさらにそこから発展してそれでは「4次元生命」とは何かということになる。量子理論を適応して説明する。
6次元のたった一つのエネルギー、6次元の命が量子理論でいう波の一つ一つの山になる。その波一つ一つの山が一人一人の命である。それは実は個々と思われている個々の存在が実は6次元生命体の表面であることになる。宗教的に言えば3次元、4次元宇宙が神(イエス)というひとつの体の表面であり、実はたった一つのエネルギーであるという極端な仮定となる。
それが聖書で言う永遠の命だ。
それぞれの個は神によって生かされていることを記憶から失っている。それは6次元から3次元へと次元が落ちたことにより、、それを感知する感覚機能が失われたために、気づけなくなっている。それを思い起こさせ気づかせることが宣教活動であり、そしてそれを知ることが救いである。
宗教に寄り道したが、神という7次元エネルギーが7次元の時空に存在する6次元のエネルギーであるイエスに流れ、イエスがパイプとなり5次元の時空に神のエネルギーが注がれ、それが4次元の生命体である「魂(心、精神、霊)」に注がれる。イエスといういうパイプで7次元の神とつながったとき、普遍エネルギーが4次元的時間空間的に永遠に注がれることになり、4次元の生命体の命は永遠となる。それが宗教的救いであり、物理的にはエネルギーが普遍に4次元生命体に注がれることで生命が死することがなくなる。
この理解しがたい理論を説明することを試みる。
ユングの本を読んで考えた大胆な空論仮説!
(息子が体験した幻聴、幻覚がただの障碍とは思えず、自分なりに理解するために考えた、空論的仮説です。)
相対性理論とは簡単に言えば「時間や空間は絶対的なものでなく、立場によってかわる」ことを明らかにした理論です。思考は前頭葉で行われ扁桃核の間で情報が交換されます。現在過去未来と思考が高速で移動し、そのために神経伝達物質のイオン交換で発生する電子の移動速度が、一般的な速度以上に加速され光速に近いものとまで行かなくても電子がわずかでも質量を持つまでの速度まで加速されるナノ加速器が扁桃核内に形成され、そこに特殊相対性理論の世界が形成されることになります。扁桃核で光速の数%まで加速された電子が質量を持つようになり、そしてそれは重力を発生し、空間をゆがめ、その人から見た世界は縮み扁平になり、時間の進みがわずかに遅れることになります。それが一般的な人と大きな感覚の違いをもたらし、それが結果として障害といわれるものになるのかもしれません。つまり、時間、空間が相対的に違ったものになり、そのずれが社会的に障害と言われるものになるのではないかと仮定しました。統合失調症特有の思考の痴呆性や一般人とのずれ、また独特なゆっくりさやマイペース、また社会の時間や空間に適応できないことが結果として人間関係の苦手さになるではないかと仮定しています。アインシュタインがこの世界の現象をすべて網羅する理論研究し一般相対性理論が出来ましたが、それはあらゆるものに当てはまるものである故に精神障害をも説明してくれると思いました。まさに相対性理論は精神障害の理論ともいえると思います。そしてブラックホールでは質量が無限になり時間が止まります。仮定として脳の1兆分の1サイズのブラックホールが扁桃核に出来たとしたら、その人の扁桃核内に時間がほぼ静止状態の現象が発生し、その人の思考や脳内の神経伝達物質の移動が同じようにほぼ静止状態になります。しかし周りから見たらその人の時間が止まることになります。実際はその人にとって時間は普通にながれているのですが。それが相対性理論です。それが統合失調症の破瓜型と言われる症状かもしれません。
さて相対性理論では四次元の存在が大切です。まずは次元から考えて行きたいと思います。
次元
四次元の世界に存在する宇宙。その中に存在する地球、そこに存在する人間、その人間の背後にある命の源、生命は、「神」という高次元(五次元)から発せられた光の波のそれぞれの波の一つ一つ、つまり全ての人は量子理論の電子の粒子の性質と、波の性質と同じエネルギーの形だと仮定してみます。下図参照。
創世記の1章 1:3節に 「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」とあります。まだ太陽が創られる前です。光があるということはその光源があるということです。まだ天体が創られる前のことです。この光は太陽を光源とする光とは違います。光は電磁波ですが、この最初に創造された「光」は神を光源としたエネルギー粒子かもしれません。物質の最小の形はニュートリノですが、ニュートリノは宇宙のあらゆるところにあらゆるものを透過し天地創造のときから存在します。そしてそれがすべての物質の素です。このニュートリノが人間が今までに科学的に検出できた、神の霊かもしれません。まさに有って有るものであり、宇宙のあらゆるところに満ちているからです。それが「光」とかかれていることから、光の性質を持っているという大前提でこの仮定が考えれました。
ヨハネの福音書6章63節に「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」とあります。この神から発せられた「光」、その命の光が一人一人の人間を生かしているものだとしたら、こんなものの見方も可能かもしれません。
量子理論による電気の理解から
*参考文献へ→
コンセントに電球のスタンド、ラジオ、扇風機をつなぐ。電球は光を放ち、ラジオは電波をとらえて音を出し、扇風機は電気の力でモーターを回して風を作る。そのコンセントからコードに流れる電子は粒子であるがまた波でもある。その波とは海の波のように水の分子のつながりとしてエネルギーが伝播して行く波での性質とは違い、ひとつの電子は同時にあらゆるところに存在していて、その波とはそれが発見される確立の高低の波、波の高いところはエネルギーの高いところではなく、電子が発見される確立の一番高いところ、そして一番低いところは、発見される確立が一番低いところ。その波の一番高いところにから一番低いところへの山から谷への1サイクルです。
同じコンセントにつながれた電気スタンド、ラジオ、扇風機には同じ電子が流れています。それが電気スタンドでは「明かり」というエネルギーに変わり、ラジオでは「音」というエネルギーに変わり、扇風機ではモーターの「回転」というエネルギーに変わり、それが風というエネルギーに変わります。しかしその背後にあるものはまったく同じ電子です。同じ電子がある時は光に、ある時は音に、ある時は風を作る力にと変身しています。人間的に言えば同一人物!同じ人がただ役者となり、変身し違った人になっているのですが、それも一人何役もこなしているのです。電気製品はいろいろあってもその中を通って働くのは同じ電子なのです。それと同じように、ひとりひとりの人間の生命の基となっているものは同一のものなのです。誰一人違いがない、同じものからできているのです。ただエネルギーがその人によってどのようなものに変えられるかです。そして一人何役もこなしている役者が同時に違うチャンネルに登場しているみたいなものです。違うチャンネルで同じ時間に放送しているようなものです。あなたという人が実は隣の誰かさんと同じだとしたら?同じ生命という役者があなたにそして私になっているのです。
神の霊という「5次元の電子」と仮定できるものがあるとすれば、その電子の波長が作る波があり、その波の高いところはそれが発見される確率が一番高いところ、そして低いところがそれが発見される可能性が一番低いところです。神から発する波、一つ一つが一人一人の人間の存在となるのです。それが量子理論の電子の粒子の性質と、波の性質と同じエネルギーの形だとの仮定を適応して人間一人一人の存在の原理を想定したのが下の図です。
7次元の神から発すると仮定する何らかの電子に共通した5次元の粒子が同じように波の性質を持ち、その波が一人一人の人間の魂を作るという仮定です。それぞれの存在が違った性質や動力の形を持っていても、それは同じところから来ているということを証明するための仮定です。
ただそれぞれの人間は肉体という物質によって、同じ生命エネルギーから、それぞれの個性を得ます。電子が電球では灯りに、スピーカーでは音にと換わるように。(その生命のエネルギーがその人の肉体や脳でどうのように転換されて実生活で生かされていくかで、それぞれの人間の特性や個性がでます。)そしてひとりひとりの人間が脳の中に意識を持ちます。背後にあるエネルギーは同じ神の創造の源から来る電子のよなものなのに、それぞれがまるで、ひとりひとり別の独立した固体と考えています。それは脳という肉体の器官が、自分のエネルギーの変換方式を唯一の方式と考えて、他とは違うと思考するからです。電球はラジオを見て、私とラジオは違うと思うのです。そしてラジオや扇風機とは違うと思うのです。しかし中で働いているエネルギーは同じものなのにです。そう人間を生かしているのは神という同じ生命のエネルギーです。
それは皆ひとりひとりが神様ということになります。そう神がひとりひとりの個性を持って、ひとつひとつの波になって大海をなしているのと同じです。聖書のヨハネの福音書17章21節に「父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためです。」23節「わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますいのは、彼らが完全に一つとなるためであり・・・」とある通りです。
また1章9節、10節に「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」 「彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。」とあります。それがこの仮説につながる聖書の節です。それは光であり、「彼」という人であり、そこからできたのであり、それを一人一人は自覚できないでいます。それを伝えるのが福音書です。その人が肉体となる時とは波長が一番高くなるときであると仮定できます。この波の周期は海の波のように複雑で様々な五次元方向からの波が重なり合い、その重なり合いの中で一番高くなるときに三次元での肉体となり、この世に生まれ出すのかも知れません。
1:10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
* 例え:放送局から放送されるラジオ放送、あるいはTV放送。それは同時にあらゆるところに存在する、電磁波の波です。だから誰がどこにいようとチューナーを同じ周波数に合わせれば、同じ番組、放送を同時に聴き、見ることができます。しかし受信機(脳)が違えば、音色も色も違ってきます。そしてまたはまったく他の人が受信できるのに、まったく受信できないことが起こります。チューナーの種類が違うからです。
肉体という物質に生命があるのは、その電子にあたる、目には見えないが、存在するエネルギー波が、コンセントになる何かを通じて、肉体に流れ込み、それが生命というエネルギーに転換されているからです。そのコンセントになる何かを宗教的に「霊」ということもできます。聖書、ヨハネの福音書6章63節のイエスの言葉、「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」聖書、ヨハネ3章5節「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。」、「水」とは羊水から生まれてくる肉体のことで、そして「霊」が生命全般の活動である、筋肉を動かすとか、ものを考え生きて行くとか、人を愛するとか、そして細胞が生きているとかいった、いまだにはっきりと解明されていない様々の人間の活動の仕組みやエネルギーの背後に流れている五次元にある電気のような高次元のエネルギー波を体内に取り入れる「接点」だと考えることもできます。そしてその高次元のエネルギー波を宗教的に「神の力」「神の恵み」「神の霊」といえるでしょう。同じところの3節に「あなたは子に賜ったすべての者に、永遠の命を授け・・・」とあります。
それはどういうことでしょう。簡単に言えば、皆神の分身ということになります。神の霊が肉体を得て、それぞれの形になるのです。
コリント人への第一の手紙3章16節に「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだから!」どうでしょう。
驚きです。皆が一人一人神の宮なのです。一人一人は神の五次元のエネルギー波動の山の一つ一つだからです。
人間の総体である魂は神の霊の光の束
太陽の光は真っ白です。しかし、それには様々な周波数の電磁波が混じっています。それが統合されて見えるのが真っ白な太陽の光です。それをプリズムで見ると七色に分離できます。また電波望遠鏡で観察するなら、さまざまな電磁波を観測できます。光も電子も、その他のものもただ周波数の違う電磁波です。ただ人間には限られた電磁波の領域しか見えず、それを可視光線といいます。そして可視光線の外には目には見えない、赤外線、紫外線領域があります。そして無神論の教育を受けた、知的といわれる脳は可視光線で見えるもののみ、この世に存在するものと絶対的に考えています。
さて人間の肉体、脳の扁桃核で発生する感情、前頭葉で働く思考、そして精神、そしてその人「霊」といったものは、高次元からくるエネルギー波がこの四次元の世界に発現した一連の電磁波の塊のようなものです。それをプリズムを通して分離して、周波数が低い順に、肉体、感情、思考、精神、霊(心)となり、その電磁波がみんな交じり合わさった太陽の真っ白の光に相当するものが「魂」です。魂は精神も霊も肉体も全て含まれた人間の総体そのものです。そしてその境目は電磁波と同じであいまいです。肉体と精神の境目、精神と霊(心)の境目はありません。それは無断階に続く周波数の違った神のエネルギーの電磁波の重なりです。(アドラー心理学との共通するところがあります。2015/11/30)
人間の肉体はこのように三次元域に存在する波動を持つ電磁波や質量と体積を持った物質しか認識できません。しかし肉体では知覚できない、高レベルの周波数を持ったエネルギーや物体も存在することは否定できません。それは人間の感知できる範囲を越えたものなので見ることも、感じることも、手でふれることも、味わうことも、臭いをかぐことも、重さや物質の存在を感じることもできません。
もし人間が可視光でしか見えるものしか存在しないと言うなら、電波望遠鏡での宇宙の観測で観測されるものはまったく有りもしないこととなります。ですからこの仮定も同じだと思います。見えないから有りえません。
しかし人間が知覚できないだけで、存在するという可能性があります。電子の存在を観測する装置が発明され、その存在は知られることとなりましたが、電子とはいったい何かはいまだに現代科学において不明です
魂の簡単な構造表現
(仮説)
創造主からのエネルギーが四次元のプリズムで分光しそれぞれの波長にそって肉体、感情、精神、霊と分離される。四次元のプリズムはその人の心と似たもの。常にそれは感情や気分のように、いろいろな事情や出来事によって変わる。
遠くに遠ざかるものは周波数が遅くなるので色だと赤い方向にずれる。相対的にその人が移動している(四次元の時間軸上を、具体的には心配したり、恐れていたり、うつうつとしているとき、その人の心は過去に行ったり、未来に行ったりと時間の移動をしている)のを見ている他の人から見ると、赤方向にずれた色に変色してしまっている。
これが心理相対性理論。
心配や恐れで、過去未来現在を心が移動している人が、自分を見たときには、そのままに見えますが、止まったところで立ってその人を見ている人にはドップラー効果の影響で波長が違ってくるので違った虹の色の組み合わせに見えてしまいます。。
白い光が分かれて七色の虹になるが、本人には七色の虹でも、その人の移動を相対的に見ている止まって立っている人には、違った虹色に見えてしまいます。
移動している人の肉体、感情、精神、霊の光の虹が、立っている人の目には変わった行動、変わった思考、変わった価値観、変わった情動に見え、それが意思疎通や感情の伝えあいと理解や、意思伝達にや心の交わりにおいて大きな障壁を作るのです。
もちろんそれは当人にも、その人を見ている人にも気付きません。それが障害となるのです。
心配や恐れやストレスで体調が崩れたり、心身症と言われるものも、同じである。波長がずれることで、感情の波長が、肉体の波長領域まで落ちると、感情であった光が、肉体の領域にずれる。感情で感じる部分が、肉体で感じる部分になってします。感情の領域で「落ち込む」ことが、肉体で体調がすぐれないということになる。
心の不調が、肉体の不調を生んでいることになる。
肉体の不調の原因は肉体にないのだから、いくら肉体に働きかけても効果がなり。なぜならその不調の原因が肉体ではなく、感情の波長が肉体の領域にずれてしまい、それが肉体の不調という状態になっているからだ。
ドップラー効果によって波長がずれ四次元プリズムの分光された光の束がが違った素性を醸し出す。そのずれが体調不良や気分、感情の落ち込みや不快感を起こす。
ゆっくり休み休息を取るり、心の四次元の時間軸でのぐらつきを安定させることで、ドップラー効果による光のにじみや波長のずれが消え、体調や気分もすぐれてくる。
万華鏡のように絶えずこのプリズムは色を変えていく、それが日々の気分の変化や感情の変化。
そしてそれに伴い体調も変化する。心も意識も同調し変化する。
それがひどいときには心身症を発症し、肉体的な病も発症する。
(2015/12/18)
×X(現実を認識し意識する理性)
アドラーが説いたように、人間は全体が一つのまとまりで分割できない。aO2もbI3もつながりのある一つの人間の心の塊。意識と無意識、理性と感情、身体と精神など一見相反するものも、互いに補い合う存在であると考えた。
四次元と五次元理論
私たちの存在している世界は四次元であることが発見されました。四次元の空間に生きている肉体のほとんど第四の軸、時間軸では静止しています。つまり常に現在にいます。霊(心)もほぼ静止して、肉体の領域にあります。
このとき、肉体の五感と霊(心)は統合されて機能しているので、現在という時間に生きることができています。そして三次元の空間で起こっていること、つまり生活一般で起こっている日々の出来事をまとめて統合して、肉体の常識の範囲内で考え、対応し、生命を維持し、生きて行くことが出来ています。
五次元レベルから発せられ、注ぎ込まれてくるエネルギーが神の命の霊のエネルギー波です。つまり、電源のコンセントから流れ込んでくる電流が五次元レベルからのエネルギー波で、それが魂という波になり、そのエネルギーが三次元の物質レベルに変換されて肉体となっているのではと考えます。電気がモーターの駆動力になり、電車を動かすように人間の手足や内臓、脳を機能させ、生きさせているのです。それは皆、電流が形の違った、光や音やモーターの動きといったエネルギーに変換したのと同じで、五次元レベルのエネルギーが生命活動としていろいろな形に変換されているのだと考えることもできます。
この世に誕生した人間は成長という過程を通って、五次元レベル(神)からのエネルギーを取り入れ、それを三次元での生活のエネルギーに転換して生きて行くために、さまざまなことを学び、その過程で電気回路と同じように思考回路を脳の中に作っていきます。電気回路と同じように激しい感情や欲求に対して適度な抵抗を持ち、思考を整理するための整流器や、安定器も持つようになります。
実際の人生の中でどのように、五次元レベルのエネルギーを実生活の現実的な行動や生命のエネルギーに転換したらいいかを成長と共に学び、エネルギーの転換と実生活を統合する力や思考や精神を築き、それがエネルギー転換回路として脳の中に構築され、機能しているのかもしれません。
(仮定)これが心身の安定した状態といえるかもしれません。
しかしストレスなどによって肉体に負の力がかかると、脳の中の生命保持のため、考える前にとっさに自動的に自己防衛機能が働くように扁桃核が過去の体験から「生命への危険や、自分への攻撃がある」と予想して、「恐れ」と「心配」という情動を発し、「それが攻撃を受ける」と無意識に反応し、体に防衛体制のホルモンを発生させ、肉体を準備させます。反撃に備え、血液が腕や足の筋肉に集まり、ストレスで体が緊張します。現代の世界とは違い、昔は猛獣に出会う危険や、敵に急襲される危険がある環境や時代では、それはとっさに身を守るために必要で有効な機能ですが、日本や比較的近代化した社会環境が整い、治安が良い社会では、あまり必要としない機能となりました。しかし目で見える範囲で、「うまくいっていない、不幸だ、生命が守れるか、死にいたる危険せまっている等、」それが自分のもっている力や能力をはるかに超えると考え、希望を失う状態になると、それは心が受け止めるられる以上のストレスとなると、その機能は同じように作動し、扁桃核が不安の情動を起こし、自己防衛のためのホルモンを発生させ、体に防衛体制をしきます。その基となる扁桃核の発生する感情は、恐れと死の恐怖です。
それで魂の一連の波動の連鎖に乱れが発生し、五次元レベルのエネルギーを統合して取り入れて変換活用できなくなります。ラジオのボリュームが壊れて音量が増大したり、雑音が入り、音が割れたり、ブラウン管のコイルが不調に陥り色調整が乱れたり、画像がまったくばらばらになってゆがんだ状態になります。心配で思いがいっぱいになり心が沈み込み、根拠の無い緊張で肩や首が固くなり、頭痛や抑うつ状態になったり、そして最後には・・・・機能障害が発生するのです。
この歪みや幻聴、幻覚のような視覚、聴覚の誤作動、恐れや疑いから画像が歪み、雑音が混じり、それが妄想という独りよがりの思い込みである現実の誤認識となり、それが他の人との認識の違いからコミュニケーションの障害を生み、それが精神障害といわれるものかもしれません。
或いは機能障害というかわりに、五次元レベルのエネルギーを違った形で変換し、今までとはまったく違った知覚や感覚、感情、思考、能力、脳の機能、生命というエネルギーに変わると前向きな言い方もできます。それは今までとはまったく違って見え、聞こえ、感じ、認識されるのです。障害というよりエネルギーの変換機構が変質し、今までとは違ったものを出力するといういい方もできます。ケガをしたときに自然にかさぶたができるように、人間には自然の治癒力があります。心に不安や不定愁訴というい心の傷ができて、(幻聴、幻覚なども)その傷を癒すために自然の治癒力として、周りの人が理解できない、不可解な言動、行動や表現をします。それによって楽になるためにです。それが芸術において独特となると一つの価値となり、芸術家として才能となります。それが統合失調症を持つ人が持つ特別な才能となり、芸術や創作の分野で特別な力を発揮する仕組みなのかもしれません。それはとてもユニークなものを創造するからです。
またコンセントから電力が入ってきます。電気機器の中で消費しきれない余剰エネルギーは電子部品の発熱などの他のエネルギーに転換され、故障の原因となります。それと同じように五次元レベルの余剰エネルギーが誤作動を起こすこともあります。それが精神障害の症状ともいえるかもしれません。それをどう処理し解放するかがリカバリー(回復)になるのかもしれません。しかしこの解放を体験した人が普通の感覚になり、虚しさを感じることがあります。この独特な感性はその人の個性ともなり、その人の存在意義にもなります。障碍がただ障害でないことの現れです。
それをどう受け止め、どう活かすかにかかっています。誤作動と取るか、新機能と取るか、それはその人の心の姿勢にも関わります。
機能障害
機能障害あるいは機能の変化はどうして起こるのでしょうか?
ゆがんだ認識によって三次元の心が不安の情動によって五次元エネルギー分散のバランスを欠いた魂には様々な現象が起きてきます。三次元レベルの肉体では、自律神経失調症とか体の不調、ホルモンのバランスが崩れる、ドーパミンの過剰、セレトニンの不足、ストレス症や心の病気の発病とか、生活習慣病、そして感情の乱れ、思考の錯綜や迷いや恐れ、疑い等、そして霊の高レベルでは蓄積したエネルギーが四次元軸の第四の軸「縦、横、幅」が三次元、そして四番目の四次元の軸は「時間」。ゆがんで建設的に消費されず蓄積されたエネルギーによって時間軸を行ったり来たりし始めます。心配や恐れは人間固有のもので、魂の中の霊(心)が時間軸を過去に行ったり、未来に行ったりしていることです。過去の失敗を悔い、現在悪いことがおきないかと心配し、明日を恐れるということになります。心の思いが、いろいろさまよい、昔のことから、先のことまで心配し始めます。ゼロ点という現在から霊(心)がずれることでエネルギーバランスが崩れるのです。今という時間から過去へ戻って、それを悔い、未来という時間へ進んで、まだ起こっていないことを心配し恐れるのです。簡単には心がここにあらずとなり、思いが先に行ったり、昨日を悔やんだり、かと思えば、今を恐れたりと、今というゼロ点から霊(心)が時間軸をさまようことで、エネルギーの束である魂のスペクトルが乱れて、それが心のレベルから肉体のレベルまでさまざま不調や統合性を失うことになります。逆に時間軸ゼロ点という「今」に心がいつもあれば、後先を心配せず、恐れはないということになります。今を冷静に見るなら、まだ何も起こっていないし、何も失っていません。また何か起こってしまったのなら、今、それをどう対処するかをゼロ点の「今」に立って冷静に考えられます。あなたの全エネルギーが「今」というゼロ点に集中されるからです。しかし「今」というゼロ点から前へ後ろへと動きはじめれば、エネルギーは大きく分散し、「今」というゼロ点で集中し高エネルギーとなっていた心の力が、分散し、とても弱くなってしまうのです。例えばホースがしっかり持っていられないので、ホースが暴れまわり、その口から飛び出す水があちこちに飛び散り、飛散した水は広い範囲に飛び散り、ホースをしっかり持っていたら勢いよく噴き出していた水も、霧のように散らばって、その勢いは消えてしまいます。エネルギーの束も質も変性してしまいます。
また太陽の真っ白い光が、黄砂で青い領域の波長の光を吸収されて赤みを帯びたりするのと同じです。それは他の人のもつ魂の光の束とは異なってしまいます。また運動することからスピードを出して走る救急者のサイレンの音が変わるように、ドップラー効果で周波数が変わったりします。また天体の観測から分かるように色もその天体の移動速度に応じて赤や青方向にずれます。それがスペクトルの乱れになります。
さて相対性理論では原子は光速へ近づけは近づくほど、その増加した運動量が質量へと転換します。とてつもない質量が生まれます。その理論から原子爆弾が発明されました。
これはあくまでもただの空想上の理論ですが、霊(心)が高速で時間軸(思いの中でこれから先のことや過去の悔いや、現在どうしようとか、ものすごいスピードで悩み錯綜する)を光速に近い速度で移動するようになったとしたら、人間の肉体の中の脳の中に心として意識されていた三次元の物質でなかった霊がある時から、「質量」を持ち始めることになります。体積はゼロに限りなく近く、質量も計測不能かも知れませんが、それでも「質量」を持ち始め、質量をもつことによって重力を持ち始めることになります。重力とは物理では空間の歪みを意味します。空間がちじんでゆがむので見かけでは物が引き寄せられて動いて行くのです。つまり脳の中に歪みが発生します。五次元エネルギーの物質化です。それは三次元では存在しなかったものが、原子より小さいとしても、何もなかったところに空間を突き破り突如として現れるのです。それは微小な存在でも空間に大きなひずみを生み出します。五次元エネルギーの三次元表出です。
これが、ただの心配や不安が、精神障碍となる過程かもかもしれないと、大胆な仮定ができます。
それは脳の中の空間をゆがめることで、宇宙の重力レンズのような役割を果たし、他の人の五感とは違った知覚や視覚をもたらし、思考にも歪みを生じさせます。それは魂のスペクトルに大きな変調をもたらします。歪みが発生し、それがフィルター効果にになり、いろいろな色が吸収され、真っ白な光でなくなってしまいます。ある意味でオリジナルカラーができます。そのスペクトルで星の物質構成が分かるように、その人の症状から、その人の個性が分かります。ある意味で障碍ではなく変性したエネルギーや生命ともいえます。それは人間の五感で感知することのできる電磁波の領域を超えて、見ることができたり、また人間の聞き取ることのできる領域を超えた、音波を聞くことができたりとか、肉体の知覚範囲が広がったり狭まったり、思考や感情にもいろいろな変化をもたらしているのかもしれません。
これが幻聴や幻覚、妄想というものかもしれません。心がものすごいスピードで未来や過去、現在と思いをさまよわせることで、ドップラー効果の光のスペクトルがずれるのと同じ効果で、上の三角形の霊、精神、肉体の境界線が一般の人とずれる現象が起きて、それが一般の人から見ると、異常なあるいは違った言動、行動、受け止め方、感じ方、外見、表情、見え方となるのかもしれません。一般の人なら肉的領域にあるのに、波長がずれて境界線が下がってしまった人は、同じ領域でもそれが霊的領域に入ってしまい。その人がそれを霊的に感じ取り行動するために、一般の人にはなんでもないことが、幻聴や幻覚や否定的な妄想になったりしているということが仮定できます。ある人にとっては肉体的領域(波長)がドップラー効果でゆがんだ人には霊的領域になったり(天体の移動速度の違いでスペクトルが赤や青方向にずれてしまう)違いが生じます。
こうなると病気でなく、ただいのちのエネルギーが心の中で、バランスを崩し、他の人たちと共通した波長や色をもたなくなり、別な個性となる・・・だけだともいえます。その違いが恐れやストレス、そして格差、生活の難しさとなり、それが心の重荷となり、いわゆる「心の病気」というものになるのかもしれません。
繰り返しますが、それは三次元レベルの脳の扁桃核から発せたれた「不安」や「恐れ」、「心配」という負のエネルギーが霊(心)の波動に影響を及ぼし、(見た目でいえば、元気がない、落ち込んでいる。意欲を失っている。)心配や恐れといった心の中の時間軸を過去を思い煩ったり、未来を心配したりと、前後行ったり来たりする運動エネルギーに転換されて、四次元の時間軸での運動をおこし始め、そのスピードが加速されて、かなり深刻なものになり、霊(心)が光速に近い速度で四次元の時間軸を過去、現在、未来へと運動を起こすことで、重さゼロ、体積ゼロの霊(心)が質量と体積を肉体の中に持つことになり、そこから生じた重力が心や思い、脳の神経伝達物質の伝達に歪みを作るのです。例え微小でも全くないところに現れるのですから、それは歪みを作り出します。まるでゴマ粒のような小さなものでも蓋についたら、まったく蓋が閉まらなくなるように。
心理ブラックホール
これはまた飛躍した考えですが、ブラックホールの特異点の理論からすると、ブラックホールの中では物質の密度が無限大になり、ブラックホールに飲みこまれ落下していく物質の運動エネルギーは質量に転換され、速度がゼロに近くなるので動きがなくなります。中では一瞬に落下していく運動が、外から見ると時間がとまり、動きが止まったようになります。それが心の表れでは統合失調症の急性期や破瓜の状態かも知れません。また消耗期によく眠る、意欲が無くなるなど、或いは薬の副作用で、同じ動作のまま何時間もいる、というのも精神の異常でなく、霊的、精神的ブラックホールに飲み込まれていく当事者の方々を、周りの人が見て、その人の霊(心)の動きや反応や思考速度が限りなく止まった状態に近いように見かけ上見えているのかもしれません。また回復に時間がかかるのも、健常者の時間の動きよりも、相対的に遅く時間が過ぎるために、見た目に回復がとてもゆっくりで時間がかかるように、見た目に見えるのかもしれません。しかし当事者にとってはまったく意識されないことで、私たちが感じるように時間は患者さんである当事者の中でも普通に流れているのかもしれません。まさに当事者の方の一瞬は、周りの私たちには一瞬ではなく、ゆっくりとしたスローモーションに見え、一分が一日に見えるのかもしれません。
このとてもユニークな考え方は当事者に対する偏見を是正し、障碍が障碍ではなく、その人の魂の運動特性であり、異常ではないという証明になります。これが心理相対性理論です。精神に障害を抱え苦労している人の時間の流れに対する感覚と、健常者の時間の流れに対する感覚が違うことが考えられます。また空間に対する感覚も、他の人との距離感や言葉の意味や受け止め方、その転換まで同じような違いが生じる可能性があると考えられます。
医療、服薬、理解
肉体である脳に起こった変調を薬によって調整することで、霊(心)への波動の乱れを調整し、魂のスペクトルを安定したものにすることで、また生命活動や、思考、情動、感情や日常生活が統合されたものになるのを助けるのが医療や服薬かもしれません。変調のフィルター効果で吸収されていた波長の光がフィルターがなくなることでまた戻り、統合されて、真っ白い光になるのです。そして日常生活ではその光を太陽の光と同じように、食物を育てたり、体を温めたり、電気エネルギーにしたり、光合成で食物に変換したりといったように、生きて行く上で有効に活用できるようになるのです。四次元軸の時間軸での動きが乱れがなくなり、「今、現在」というゼロ点に心が安定して留まることができるようになるのだと思います。今という時にしっかりと生きていけるようになります。
魂のスペクトルの変調はマイノリティーな特徴を持つ人間となります。三次元の世界ではその人の生命活動がスローになるので非生産的に見えたり、他の一般的なスペクトルの魂を持つ人からは理解不能な人間に見えます。結果的にこの三次元の現実世界では非生産的になります。それは当事者が生きる上での苦痛ともいえます。それは当事者にしか理解のできない大変なことです。マイノリティーがマイノリティーに見えなくなる、社会環境になれば、当事者の苦痛は少なくなると思います。
心のエネルギー等価公式(すべての人の命の価値は同じ)
魂(肉体、感情、精神、霊性の総体)総エネルギー等価公平公式:人間の持つ可能性、
エネルギーは誰もが同じ!人間の優劣は無く、皆等しい!差別や偏見は間違い!
こんな魂のエネルギー公式を考えてみました。
魂は肉体と霊が統合されたものです。
そしてその魂のエネルギーの総量は同じです。
全ての人間のエネルギーの総量は1.
O2(アウターエネルギー)は自分の外へ向けられているエネルギー
変数 a は現実の出来事や、人との関係であるOに意識がどのくらい注がれているか、その量がaO2
I3(インナーエネルギー)は自分の内側 I に向かうエネルギー
変数 b は思考回路を担う大脳新皮質の辺縁系に関わる働きの度合い
](現実に対する正確な認識と意識力)
Oは三次元での出来事、それを大脳新皮質が捉える事象の心理的反応と脳が向かうエネルギ―がO2
Iは辺縁系で発生する反応、I3はそれが情動となり自意識として一つの形となったもの。
OとO2は全く違ったものであり、IとI3もまったく違ったものである。
O2はI3の表面を覆う思考回路であり、その思考回路の包まれた中にI3である人の四次元的のエネルギーの形ともいえるその人の霊がある。
面積は平方根であるからO2は心の表面積、体積は立方根であるので、I3 心の体積を表す。
(四次元立方体の表面は三次元になる。四次元の心の心の表面は三次元、極大解釈すると宇宙までも含まれる。)
公式解説
O2(アウターエネルギー)は外へ向けられているエネルギー、Oはオブジェクト、自分の外で起こっている事象、それに向けられるエネルギーがO2。現実に向けられる平面的エネルギーなので縦×横で二乗倍に増える。大脳新皮質にある理性の機能を介して辺縁系が意識の焦点を自分の内側の情動から、外の現実へと向ける思考回路エネルギー。また脳幹、視床下部などの視覚、聴覚、味覚、皮膚感覚、空間認識、体感などを大脳新皮質の理性の機能が外の事実をありのままに認識する力。変数 a はそのO2のエネルギーに意識がどのくらい注がれているか。大脳新皮質、前頭葉、側頭葉の言語野など思考回路から送られる外からの正確な認識の信号を辺縁系が情報として冷静に受け止める度合いを表すのが
a である。aO2 は自分を取り巻く環境や社会、人間関係をどの程度冷静に正確に認識しているかを表す。大脳新皮質と辺縁系の情報伝達連携の機能の働きの度合いを示す。
I3(インナーエネルギー)は自分の内側に向かうエネルギー、自意識、辺縁系の脳(扁桃核など)が発する内なる情動のエネルギー。極端にいうと正の方向なら「愛」というエネルギー、異性、家族、友、仲間、社会、弱者や困窮者、特定の個人、etcに向かう。
その反対は負のエネルギーである「憎しみ、嫌悪、怒り、不安、恐れ、疑い、否定etc」となる。Iのエネルギーは思いの中で現在、過去、未来と時間の中を動いて行き、三番目の時間軸方向が加わるので3乗倍に大きくなる。(仮定)
変数 b は思考回路を担う大脳新皮質の辺縁系に関わる働きの度合い、どのくらいそれを思考の脳が意識しているかを表す。辺縁系からの負の強烈な情動のエネルギーに対して思考が意識的に否定的に考えると、その否定的情動(拒否、嫌悪、逃避、嫌疑)感情はさらにふくらみ爆発する。そのときbの数値はマイナスとなる。b
がマイナス、I3 もマイナスであるから、マイナス×マイナス=プラスとなる。つまり精神的に大きなエネルギーとなり、脳内で大きなエネルギーの消耗となる。それは心、精神を疲弊させる。
I3 が大きくなり、自分の思い込みにのめり込むと b である大脳新皮質からの理性の関わりが極小になると、情動が激しくなり、脳が辺縁系の激しい情動にヒッチハイクされてしまう。理性が感情を抑制するちからがなくなり、情動で爆発してしまう。
I3 の否定的な辺縁系で発せられる情動の信号の負のエネルギーは脳内で大きく膨らみ現実以上に現実となり、その場合、現実の認識はあいまいになり](現実に対する正確な認識と意識力)はまさにゼロに近くなり、その人の思い込みは情動の爆発のエネルギーの塊はその人の意識そのものとなる。
反対に愛を抱くことで I3 がプラスに大きくなれば他の人への関心や信頼、思いやりが大きくなると、自分自身の内面の思い込みに向かう強さや、情動を抑制する大脳新皮質の b の働きはそれほど必要とせず小さくなる。または小さな力で十分になる。
自身の小さな気になることで気分が沈んだり、いやな人間関係での一言に執着して気になり、気がふさぐいだり、人の顔色や言動が気になることなどが薄くなり、広い心を持てるようになる。
Xは現実を認識し理解しそれに適応する力のエネルギー。
Xは現実に起こっていることを大脳新皮質の思考回路が冷静に分析し、正確に認識し理解し、それにどのように適切に対処し、適応し積極的に関わり、そこから全体に益となることを引き出す、関わりの力。それはとても複雑な仕組みとなる。利己的な益ではなく、量子理論で意味した、神がそれぞれの個々となった波動にとって(人類全体にとって)益となることを生み出す力。
*a の数値が大きくXである現実に対する意識と関わりのエネルギーが大きければ、社会に対して実際のアクションを起こし、周りを変えている力となっていることを表す。Xがどうであるかが、その人のグループや社会での活動や生活の活発さの度合いとなる。
罪は法律を犯すことと思われているが聖書で罪とは的を外すこと。的はずれが罪!そのことによって人は苦しみ、他を傷つける。a
,b が的はずれになること、それを修正することが悔い改めになる。
a、bのエネルギーが的外れになれば、Xは小さい値となる。極端な例では世界的独裁者はaO2bI3は巨大なエネルギーになるが、解が1になるようにXは極小になる。その人はとても自己に他を引き付けるエネルギーが大きいがXは全く無に等しくなる。つまり社会的貢献はゼロに等しくなる。大衆に支持されているときは社会で大きな存在になるが、歴史的評価はとても小さなものになる。
例えば幻聴幻覚によって視床下部で誤作動を起こしている視覚や聴覚が、幻聴、幻覚を現在の外部と認識しているときは外の事象を前頭葉が認識して感覚器を通じて認識する
O2 の力はとても弱いエネルギーの状態になっている。幻聴、幻覚で辛いときは外への認識があいまいになっている。
しかし視床下部にある扁桃核から来る画像や音の信号が直接視覚や聴覚をつかさどる脳部位に伝えられ、それが聴覚神経、視神経に直接つながり、脳の中では実際の音、画像として認識され、それが幻聴、幻覚となる。その見分けがつかないが、それに向けられる意識の力は大きくなり。それを示す
a は大きなエネルギーとなる 。
反対に外の真実、真理へと向けられるエネルギー は微小になる。しかしそのあいまいな幻聴幻覚への関心、感覚の感度
a は膨大になり1000や10000となる(仮定上の理論)、その a の膨大なエネルギーが、不安や脅威を増大させ、そのことによって感情を刺激し、
I を大きくする。自分という世界が幻聴幻覚またはまわりがすべて敵に感じる被害妄想などで
I である自分の内側に向かう自意識であるインナーエネルギーが膨大化する。自分自身の大きさで押しつぶされ、まさに自分の内側に入り込み、それによって思考、精神、脳すべてが自意識の世界で取り囲まれてしまい(情動のヒッチハイク)、その人に意識の中で聞こえ見えるものはその人の内面の妄想そのものとなり。そして思考回路を担う大脳新皮質の辺縁系に関わる働きが停止し、外の世界を感じ取る聴覚、視覚は考える脳である大脳新皮質である前頭葉のつながりから切り離されてしまう。、その為、感覚器に向かるエネルギ―である
a がほぼゼロになる。具体的には大脳新皮質の理性と判断、制御の機能が低下し、扁桃核の大きな情動が脳全体をヒッチハイクし、自身の感覚が捉えた幻聴幻覚、妄想、不安で肥大化した
I に深く包まれてしまい外界と遮断されてしまう。
O2 が極小になり、I3 が極大になる例である。幻聴幻覚、妄想を外部の出来事であると認識しそれに向かうエネルギー
a が強大になることで 辺縁系の脳(扁桃核)が発する情動のエネルギー I も強大化し、情動が暴走し、
b の大脳新皮質の自分自身を認識し、そしてありのままの状況や現実を認識して自分の感覚の誤作動である幻聴幻覚妄想に意識が気づくということができなくなり、その人の病気的な世界に入り込んでいる状態となる。
またなぜ多くの統合失調症の方が大人数のところが苦手なのか。これはこの後で紹介しているネイタルに関係してきます。ネイタル(その人の心と体全体の存在そのもののエネルギー)が五次元での一人一人の存在の形です。三次元で人間が感じるのが
O と I です。O と I の大きさしか三次元の感覚では捉えられません。つまり
O と I が三次元の物質的なエネルギーであり、それだけが聴覚、視覚また他の感覚で捉えられるものだからです。
a b は五次元のエネルギーが精神の意識に転化した内面のエネルギーです。、それはあくまでも意識の中での考えや想像など直感などで、その人自身が推測の枠のうちでしか捉えることのできないものであり、最初に出会った初対面の時には全く見えないものです。初対面で明らかに見えるものは O と I です。その結果
I3 がマイナスに強大化していれば、その人は外界と自分を切り離して、無感覚な自分の内にこもった人のように見えるのです。しかし統合失調症の人の中では a のエネルギーが活発に働いていて O2 である外で何が起こっているのかという関心のエネルギーが大きくなっているのですが、それは的外れな分析と思い込みを心の中に創出し、それが不信感や不安、孤独感を生み出し、周りの人とはうまくやっていけないという苦手意識を生み、その結果 I という自意識の内にこもった大きな世界の中にその人の心はさまよい、それが外から見れば、外界から遮断された内に住む廃人に見えるのです。
さて多くの人がいる場所が苦手というのはその人の O2 が小さくなり、健全な愛というエネルギーである I3 も小さくなる状態です。O2 や I3は人間の分子核のようなものです。O2、 I3 が小さいため周りに大勢の人がいると、たくさんの分子が自分の周りを囲み大きな重力の場の中に包まれているようなことになります。それが大勢の人の中にいずらいということになります。O2 I3 がそれなりのエネルギーを持ち周りと拮抗でいるなら他からの分子からの重力に引かれたり圧迫されることはありません。しかし自身のO2 I3 が小さいために大勢の人がたくさんいることでたくさんの分子に囲まれる、つまり物質的に密度の高い状態に置かれることで自身の O2 I3 が周りのたくさんの分子によって圧迫されまた引かれ、苦しくなるのです。その反対で
a や b が大きくなるので。必要以上に周りを意識し、それが自分の内面の不安や恐れに向かく意識を大きくし、その為に周りからのプレッシャーや息苦しさを生むのです。
自分自身の内側への関心の極端さ、周りの認識の偏りなど、エネルギーバランスの大きな偏りが生き辛さを生んでいます。
つまり精神障害の生き辛さをやわらかくしていくにはO2 I3の魂の分子を周りと拮抗できるまで育てていくことです。それはそれぞれの a b のエネルギーの調節を訓練し、自己の心の中のエネルギー状態を調整できるように練習していくことです。具体的にはこれが生活技能訓練とか認知行動療法と言われるものです。
原始的な命の危険に満ちた環境の中で命を守るために扁桃核で瞬時に発生する危険に対する恐れと情動、それに瞬時に対応する防衛の身体反応がストレスです。
その無意識の反応を冷静に判断し、制御lするのが前頭前野の理性の脳です。それは真っ白です。そこに聖書のみ言葉を刻むことで、積極的な思考回路を作ることになり、恐れを克服し、冷静な思考回路を築くことで、この誤作動や苦労を軽減できます。
マタイの福音書から
6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
まとめ
aO2は大脳新皮質(前頭前野、側頭葉、頭頂葉など)→辺縁系→大脳新皮質の情報の流れ。
理性と思考力が情動をコントロールするエネルギー。
そしてO2は面積を表す式なのでこれは面を意味する。
bI3 は辺縁系→大脳新皮質→辺縁系の情報の流れ。
情動が脳を支配するエネルギー。
I3 は体積を表す式なので、これは立体を意味する。 心の形になる。
この立体の表面が O2 。
Xは現実を認識し理解しそれに適応する力のエネルギー。
I3は心の大きさになる。四次元立方体であり、その表面がO2となる。O2は三次元、私たちの世界でのものに例えるなら表面。理解しがたいことだが、自分の内側へ向かうエネルギーが強大化し四次元立方体になる心が大きくなっても、その表面であるO2がとても小さいことがありえる。小さい表面積の中に強大な四次元立方体が存在する。それが精神障害の急性期であるのかもしれない。それは狭い表面積の立方体の中に高密度の質量をもった四次元物質があることになる。それが機能障害での仮説であるブラックホールの源になるのかもしれない。五次元エネルギーの物質化の過程である。
人間の意識と行動
1=aO2bI3X それぞれの要素は常に変動している。それが人間の意識、感情、思考、行動の変化となる。その変化はめまぐるしい。
身近な人が病気になる。それがO という出来事、それを O2である大脳新皮質が捉え事象として捉える。それに向かう辺縁系の情動の値が
a それが今の不安として負の力になると a は I3 に反映される。負の否定的な情動が I3 を恐れを帯びた霊に変質させる。その一瞬前までは安心していて正のエネルギーを帯びていたのに、この身近な人の病気をしったという事象が a を負に変え、それが一瞬で I3 である霊または意識を否定的な恐れを帯びた情動に変えてしまう。それは辺縁系で防御の指令を出し、I3に向かう思考回路の関心の強さであるbが大きくなり、その恐れの感情に脳全体が引き込まれ、恐れと不安に脳は飲み込まれてしまい。ストレスを生み、体が硬直し、身体にも内臓にも影響を及ぼす。
また逆も起こりえる。検査の結果、それが深刻なものでないことを知り。 a は突然、大丈夫だとストレスの受け止めから安心だと正の方向に変わる。それはI3にそのまま反映し恐れを帯びた霊から平安の霊に変質し、その結果、脅威がなくなり、脅威を抱いていたI3に対する意識の集中である b が小さくなり、負の自意識が消え去り、心は解放される。そして平安が戻り、その結果、正のエネルギーである愛を抱いた心を取り戻す。
心配で膨れ上がり巨大化して脳をヒッチハイクした bI3であるその人の霊まはた自意識にのめり込むため、外界での出来事をありのままに正確に認識する力 X がまったくゼロに近くなる。その逆は X が 1になることである。そう情動に左右されず正確に認識しそれに向かうことができるようになる。
宗教的になるが。この X がその人の哲学、宗教、倫理、生き方とかいろいろな言い方で表されるものとなる。X
がみ言葉となることが信仰である。み言葉(聖書の言葉)で現実を認識し正確に取らえることで、そのに神の御心を見出すことができる。この
X の力が大きくなることで a 、bのエネルギ―の性質が安定したものとなる。、
事例1
人間不信に支配され、自己への否定的な認識を持ち、常に社会や周りを敵視している人は I3 がマイナスの大きなエネルギーとなって脳のエネルギーを日々消耗している。b が大きくなければ、それほど内面に影響されることはないが、]が小さくなり現実の認識があいまいになり不安や恐れや怒りが増強したときbはマイナスの大きな数字となり、bI3 の数値は膨大になり、それがその人のエネルギーのほとんどとなり、脳をヒッチハイクし、その爆発した怒りが行動としてそのまま外へ放出される。これが感情の爆発が行動となって表出される事例。
事例2
あるきっかけで自分の否定的な思考の働きに気がつき、]である現実への認識と理解が高まり、自分が感じていた他への不信や敵愾心、怒りが自分の思い込みであると気がついたとき、bI3のI3である情動のエネルギーがプラスになり、bである大脳新皮質の思考回路が情動への連動して働いていた意識の度合も1に近い数値になり心が落ち着き、aO2の数値も1に近くなり、]である現状認識と現実への正確な関わりの指数も1に近いものとなり、心が安定したものとなる。
aO2、bI3、]の数値のアンバランスがさまざまな精神状態の不安定と不定愁訴を生み出しそれがひどくなると精神症状として表れ、病的な状態までになる。
1=(aO2)(bI3)X、aとbは変数です。その人の関心の度合いによって変わります。aは自分の外側に対する関心の度合い、または意識の強さ。bは自分の内側に対する関心の度合い、または意識の強さ。どちらも心理学用語のリビトーと同じである。。その人の関心のエネルギーの度合いである。
]はその人の心的エネルギーの放出や流入の度合い。
例えば、「恐れ」とはその人の心のエネルギーが外へ放出(反対の意味では他から奪い取られている)している状態で、1以下となる(0.999・・・)。地に足がついている。意識が現状にしっかりとついていて、今起こっていること状況を把握し、それを真正面から見つめ、それに対して対応している場合Xの数値は1以上となる。そのような場合、他の人の評価や状況によって精神が揺らいだり、否定的になったり、恐れをいだくことがない。
愛に満ちた精神も同じだ。神に愛されていることに信仰を持ち、それゆえに状況にかかわらず精神が揺らぐことにない安定した状態でもある。反対に神経質になったり、まわりが気になりすぎ、ちょっとしたことでも気が落ち込むときXは小数点以下のかなり小さな数値になっている。小さなことも気になり、気を病み、抑うつ症状を呈する。
]は他の言い方をすれば、生命力、または存在のエネルギー。例えば意識が朦朧とし、危篤状態にある人の]は限りなくゼロに近くなり、そして存在のエネルギーまたは生命力がゼロになることは死を意味する。
危篤状態にある人が、眠っているその人の意識の中で思いを過去、現在とめぐらしながら脳が活発に活動している状態の時はaが実は高い値になっている。ただし現実の世界に対する認識の力]がゼロに近いために、その人をまじかに見ている他の人の目には、その人は死を迎えようとしている意識を失った状態に見える。
統合失調症の破瓜型といわれるものは]が限りなくゼロに近くなり、この世界に対する関わり、認識がほとんどなくなり、まったく外の世界に意識がない状態だといえる。
今外界を認識し画像を見、音を聞き、空間を認識し、触覚でその空気を感じ取る・・・・そこがそれを感じ取り、感知しているのか、それこそ心といわれているもの、またはその人の魂ともいえる。別の言葉で言えば霊が、外界を統合して存在するものとして感知し認識している。
五次元の時空の存在する四次元の生命体である精神、心、魂、霊とも表現されるものは
四次元のエネルギーの一部が三次元のエネルギーに転換された部分が、この世界での命となる。生命エネルギーである。
脳は三次元を捕らえるためのセンサーであり、三次元時空間を四次元の生命体である、心、精神、魂、霊が認識するための装置である。
であるから]エネルギー係数は四次元の精神が三次元を捕らえ認識する力の総数であるとも仮定できる。
統合失調症の破瓜型といわれう人は廃人になったのではなく、]エネルギー係数がゼロに限りなく近づいた状態になっているだけで、人間としての価値は他の人と同等である。
心のエネルギー等価公式は人間の価値はすべて同じで普遍的に変わることがなく、人間に優劣はないということであり、精神障害や心の不調はそれぞれエネルギーのアンバランス、そしてXエネルギー係数が極小化が原因であることを示す。
]が1、I3が1、O2が1の時、このようなキューブのような形になる。
この図を参考に考えると、自己の内側にエネルギーが集中し、3次元の現実の世界に関心が薄れ、まったく自己の中に入り込み、他との接点がなくなり、重度の精神障害は]とO2が限りなくゼロに近く I3 の方向に無限に続くような直線になる(黄色のチューブ)。またはX、O2がわずかでもあるのなら細いチューブが I3 の方向に延々と伸びるかたちになる。
躁になると]、I3が極端に小さくなり、O2に沿って長く伸びる直線またはチューブの形になる(オレンジ色のチューブ)。これは簡単な例えだが、このようにさまざまな人間の精神状態と行動の形態が図形化できる。哲学者のように内面を深く追求し、それを外に対しても働きかけ、大きな運動を起こし世界に大きな影響を与えたとしても結果として、この世界に受け入れられず、たくさんの人に心と苦しみを残し、最後には狂人として歴史から消え去った人物がいたとしたら、それは]が限りなくゼロに近く I3 と O2 が極端の巨大な平面に近い立方体になる(薄茶色の面)。大きな大きなスライストーストと同じ形だ。内面への働きかけ、そして外への働きかけと行動も強烈で、多くの影響を与えたとしても現実にこの世界への関心や働きかけがほとんど皆無の状態である。
神からくる創造のエネルギーの波の一つ一つが、一人一人の人間。つまり、波の持つエネルギーはみな同じです。ただエネルギーの構成が内に向かうか、外に向かうかの違いです。だからエネルギーの総量はみな同じ「1」です。
「O2:outer」は外に向けて現れ働くエネルギーです。現実の世界で機能している肉体や脳の現実的働きです。自分の意思や欲求や願望を実現し、自分を表現し、自分を伝えよとして、現実の外の世界に向けて出して行くエネルギーです。
「I3:inner」はその人の無意識や心の内で転換されるいるエネルギーです。簡単に言えば、内にこもって働いているエネルギーです。自分の中心に向かって働き流れて行くエネルギーです。自分、自分と自分の中心へ向かって行くエネルギーです。芸術家のインスピレーションとか創作意欲とかプラスに働きもすれば、それが完全に内側に向かったものになれば、引きこもりや行動障碍、自閉症と言われるものになるのかもしれません。
しかし何が違いを生むのでしょう。人間の持つ素材は同じです。有名大学に進学した若者も、自閉症で引きこもっている若者もエネルギーの総量、人間的価値は同じです。ただそのエネルギーの現れ方が違っているだけです。それを表す数値が]:エネルギー係数です。
人間一人一人の可能性やエネルギーを1としました。それは人間一人一人同じです。神様は公平です。そして違いをもたらすのは、そのエネルギーがどのように転換されるかだと思いました。それを表すのが]です。
「a」「b」は心理学用語で「リビトー」と言われているものだと仮定します。その人の意欲の関心の強さです。「aO2」は現実での生活の中で自分を表わし伝え、考えや欲求を実現していこうとするエネルギーです。それは行動力や、目的達成力とか、人生を楽しむ意欲や、生き生きとした暮らしとか、目に見える見た目のエネルギーです。その人の意欲や関心の強さによって、それぞれ違います。外に働くエネルギーが
「a×O2」です。
そして「I3」は内側の自分へ向かって限りなく流れていくエネルギーです。自分の中心へ向かって行くエネルギーです。または無意識の世界で働いているエネルギーともいえます。「b」は「a」と同様、定数ではなく、変数であり、その個人の「I3」に対する関心の強さの違いです。また「リビトー」にあたります。「O2」が2乗なのは、行動という三次元の形だからです。「I3」が3乗なのは、心の内面という4次元の形だからです。
「b×I3」です。
この公式が1=1×1×1となっているとき。心身のバランスが取れて機能している状態です。外側に向かうエネルギー、内側に向かうエネルギーが同じでバランスが取れていて、他から影響されたり、恐れなどによって、エネルギーが心の外に放出されたり、また他の存在によって、エネルギーを奪い取られていない状態です。
精神障碍や内にこもることや、自閉症は「I3」の値が大きくなり「O2」が限りなくゼロに近づいた状態です。そして人間の内側に転換されるエネルギーが増えれば、3乗倍で増えて行くことになり、総量の「1」の中で占める割合が簡単に大きくなります。
ちょっとしたストレスが「b」を大きくし、そして「I3]を大きくします。もともとの素質として「I3]が大きければ、他の人と同じストレス「b」でも大きな変化をもたらすことになります。ちょっとしてしたストレスが「O2」と「I3」の数値を大きく変えてしまうわけです。また「O2」を積極的に大きくしていくことで、「I3」を変えて行くことが出来ます。それが心理療法やカウンセリングや積極的に生きていくといったことかもしれません。それで「O2」や「I3」の値が増大し、調整されるのです。
ここで]エネルギー係数が心の状態を表す重要なものとなります。恐れなどの心理状態によって心のエネルギーが放出されていると、心のエネルギーが外へ放出された分だけ、内側から失われることになります。]は1以下、最高値でも0.99999・・・・となります。しかしこれは化学のイオンと同じ原理であり、放出された電荷+か−の反対のイオンがその原子、分子が帯びるように、放出された分のエネルギーが心を取り巻く「イオン」となります。つまり、エネルギー係数によって、心の状態が変わりますが、それでも人の心のエネルギーの総体:価値はどんなときも1、精神状態がどうであれ誰でも同じ価値だということです。例えば恐れによって心の関心が内側に向かいI3の値が巨大になり、自己の不安や心配が膨れ上がる、それは心の内部のエネルギーを大きなものにしますが、同時に恐れは心のエネルギーを外に無駄に放出することと同じなのです。それでエネルギーが「I3」に偏るために]が0.999・・・以下になるが、総体がやはり1となります。同時にその]の分だけ、心が−イオンを帯びることになります。それは人間の+エネルギーであり+イオンである愛を引き込むことになります。つまり、愛を必要とする状態になります。その人を支援する人は、その人の−イオンを帯びた心を満たすために、多くの愛を注ぐことになり、そのために自身がエネルギーを放出することになり、消耗することになります。だからこそ当事者の支援をする人も常に+エネルギーを心に吸入する必要があります。それが注ぎ続ける秘訣です。
またその逆も考えられます。「aO2」が大きければ、とても現実的で生活観に満ちた、人となりますが、あまり自分の内側の状態に関心がなくなり、とても世俗的になるということも考えられます。うまいものを食べ、快楽を追い求めるだけの人生になることもありえます。そのような人は砕きという人生の経験を通じて「b」や「I3」の値が成長し、より心の深い人生を送ることができるようになります。大きな数値となった「I3」は心が深いという意味にも考えられます。それが行き過ぎて、あまりにも深いところに行ってしまうので、実生活からかけ離れてしまうともいえるかもしれません。]が1以上となることはI3やO2が小さくなることです。それは自分自身が希薄になることになります。自己の意識が希薄になり、外に対して大きく自分を出すことになります。ストレスでエネルギーが外に放出されることになります。これが躁の状態ともいえます。
繰り返しますが精神障碍者と言われている方も、健常者も同じ総エネルギーを持っていて、そして同じ素材でできています。総量は同じです。ただそのエネルギーの転換の仕方が違うだけなのです。人生の中でそれがどのように現れているかの違いだけです。そう考えると、障害者は障碍者でなくなります。ただエネルギーの転換方式が違うということになります。しかし現実の世界では少数者としての偏見や差別、そして奇異な存在として見られてしまう傾向にあります。これは三次元の現実の世界では仕方の無いことかもしれません。
脳の部位としていは「I3」は大脳辺緑系と扁桃核の感情の心、「O2」は大脳新皮質の知性の心のエネルギーという仮定もできます。
扁桃核は人間関係の距離感を察知する重要な器官、I3とO2のバランスが取れて、人間関係が成立する。I3のエネルギーが過大になるということは扁桃核が大脳辺緑系を中心に感情の記憶の情報を取り入れ、心の内側にエネルギーを集中させる、心の内にその人の関心や現実に感じる世界を取り込んでしまう。そのことにより、大脳新皮質の外の情報を捕らえ、膨大な記憶庫から情報を引き出し、それと照らし合わせて状況を理論的に考え、そして円滑な人間関係と生活のために理性的なる働きをするという「O2」のエネルギーがほぼゼロに近くなる、そんな仮定が浮かび上がってきます。心の病気は、この「I3」の極端な感情がもたらすものだと思えます。
結果として「O2のエネルギーをどのようにして、引出し、脳内でのバランスを取るかにかかってきます。また]が1以上あるいは1以下となり、他に対する意識やコミュニケーション、心の関心のバランスが崩れることなのかもしれません。このXをIやOを調節しながら1にしていくこれがある意味で心の病気の回復を意味することなのかもしれません。
参考ページ「脳の仕組み」⇒
仮説(2013年7月28日挿入)
脳の仕組みで示した大脳辺縁系がアンテナとなり、5次元電磁波を受信する機能があると仮定する。
後に聖書的な解説で語る5次元生命体(単純には霊的存在)から発せられた負の電磁波を受信すると辺縁系は負に帯電し、否定的思考として反映される。まさに情動を発する脳の器官が高次元からのエネルギー波を受信し負の情動を発すると、扁桃核が不安と恐れに包まれ、それに誘引されて、海馬や大脳新皮質から不安の情動と関連する記憶が引き出され、それが思考回路の中で循環し、終いには脳全体をヒッチハイクする。視床下部には前頁で記した現象が起き、幻聴幻覚が起きる。
あまりににも宗教的になるが悪魔、悪霊とはこの負のエネルギーを発射する存在だ。人間の生命を破壊し、その破壊した命は何らかの形で、彼らの存在するためのエネルギーとなるのだろう。
逆に大脳辺縁系が正の電磁波を受信し、正に帯電するなら不安の反対である平安、幸福感、安心、平常心といった心の状態になる。それは前にそしてこの後でも述べる神からのエネルギー源から光を受け取ることである。
心の病気は大脳辺縁系のアンテナが長い間に渡り負のエネルギーを受け続け、静電気や磁石の原理と同じように負に帯電したままとなった状態だ。
また感情もこのアンテナで常時受け取る信号をそのまま反映する。
アンテナをどちらに向けるかはその人の選択、自由な意思の決定となる。
ここに鍵がある、SSTや認知行動療法はこの訓練である。どうアンテナをコントロールし受信した信号をどう処理するのか、その修理方法を学ぶことで、心を意思とつなげ自分らしさ、自分の生き方をつくりあげることができるようになる。
2014年3月4日仮説
2月22日にWRAPの勉強会に参加し、そこからインスパイアされた仮説です。
a,bはこの三次元の世界で表出する意識。この三次元に生きる人間にはこれしか見えない、または感じ取ることしかできない。外で起こったことに向かう関心の強さ、その人の選択した反応のつよさがaだ。そしてその結果、その人の内面で起こり、その人の意識の中でその人の情動反応のつよさがbだ。
四次元空間で時間軸上でさまざまなできごとが、人それぞれの心をかすめていく。
その時の相対的な移動速度、または簡単にはその人の心を出来事が過ぎていくときの速度、また意識のつよさがaだ。
三次元の生物である周りの人にはその人の内面での周りの出来事や人間関係で生じている無意識のエネルギのO2は感知されず、意識上に表れている感情的反応のaだけが感知できる。もちろん本人もそうだ。
それに対してどう反応するかはその人の選択する力により。O2(出来事や人との関わり)が四次元の時間軸上をかすめていくことで(その人の人生に出来事が起き、人との関わりが起きて意識している状態)、四次元磁場(精神的エネルギー)での反応が起き、その結果としてI3(自分に向かうエネルギー) が発生する。その人の心の内面で起こる反応であり、その人が自分自身を意識エネルギーだ。O2がかすめていくことで、四次元磁場での磁場反応で(発電の原理と同じ)I3 が発生する。もちろん同じく三次元の生物であるわたしたちにはそれを感知することはできない(見た目にその人がその人自身について過剰な意識を持っている状態になっているなど気が付かない)。I3にともなって三次元に発生したb(何か気にしているなとか、ちょっと落ち込んでいるかなとか)という意識反応のエネルギーだけを感知する。
これは例えだが、「親しい友達ができあるとき遠まわしに、その友達が自分について悪いことを言っていた」ということを他の人がから聞いた。その出来事がその人に起きることがO2だ。つまり、その出来事がその人の時間軸の現在(ゼロ)を通り過ぎる。小惑星が地球をかすめ過ぎ去るように、その瞬間重力や磁場の影響を与えていく。その磁場の影響にたいして現実的心が反応して負の感情を抱く、・・嫌われている、自分はだめだ、・・・それがaだ。それは負の数値だ。その現象と同時に心の中で自分への不安や友達への疑いやどうしたらいいのだろうと戸惑いが生まれる。それがI3だ。もちろん同じく負の数値になる。そしてそれを意識するつよさがbである。aO2が負の大きな数値になるとI3は肥大化し、その人の心を不安と不信で飲み込んでしまう。それはbという意識がつまり考えて意識することができなくなることでbはとても小さな数値になる。この状態がうつ状態、あるいはメランコリーといえる。そしてもちろんXは小さな数値となる。うつはaO2が負に肥大化し、その反応でbI3も負に肥大化し、内面の負の意識に向かう関心bが巨大化し、エネルギーがbI3 に移動し、O2に向かうエネルギ― a は小さくなり、その出来事はもう何が何だったのかもわからなくなり、。メランコリーの原因となった出来事は内面の妄想の一部となり、I3に意識は集中し、その中にのめり込み、その後ではXである現実に対する正確な認識と意識力が極小になり、bI3がその人の意識、情動、感情そのものとなる。これが否定的思考のどん底に落ち込んだ状態で、それが長く続くと、脳の扁桃核に傷ができ、それがうつ病の元となり、ゆくゆくはうつ病を発症する。
というわけでWRAPはbを正常値に保ち、Iを健全なプラスに変えていく手法だ。
ここで面白いことはOが1から2になるとO2は4になるが、Iは3乗倍になるので8となり、その2倍になる。外の出来事に対するaO2の反応が2倍になると、心の内面で起こる危機的な情動はその倍になるということだ。逆に外の出来事に対する反応を半部に抑えたら、内側で起こる情動の危機は4分の1になる。色々な刺激は外から来る。それに対する選択反応力をつけることで、自分の内側に起こる危機的な情動を小さく納めることができるようになるということだ。
躁状態はbが巨大化してO2,I3が極小化することだ。自分の中のハイテンションな関心が情動をヒッチハイクしてのっとってしまう。外へ対しても無関心、ただ自分の内側のハイテンションな情動のみになる。当然、他にも自己にも無関心。心が暴走する。そして惑星の北極と南極が逆になる局軸の反転現象と同じことが起きて、それがうつ状態に一瞬に反転してしまう。それがそううつ状態。
統合失調症はO2I3が肥大化しa,bがほぼ0に近くなる状態、Xも同じく0に近くなる。自分の意識とは関係なく、外から来る刺激やそれに伴って反応して発生する内側の情動反応Iが肥大化し意識全体がヒッチハイクされてしまう。まさに極限の質量を持つIO星のブラックホールを心の中に持つことになり、すべてのものがゆがんで見え聞こえ、そして時間の動きもほぼ0に限りなく近づき静止状態となる。これが統合失調症の急性期だ。周りの人には危機的状態だが本人にはただ時間が止まりブラックホールの中に吸い込まれて何もかもがゆがみ、外界ははるか遠くにかすむ存在となる。それを見る周りの人は、まるで現実からその人がどこかえ行ってしまったように感じてします。I,Oの四次元エネルギー場が肥大しブラックホールが実際に心の中に発生し、時間の流れも空間もゆがみ、それが障碍となる。
図解説No1
WRAPのヒントから図説
1、私=I に出来事が起こる。それがO。私という惑星にOという天体が接近する。出来事は外から来る。批判される、反対意見を言われる。いやな表情を見る。自分の期待と反した行動を見たなど、さまざまな出来事が日常に起こる。O が I の重力圏に近づくとIの重力に引き寄せられOの軌道が変わる。私 I が出来事Oへ向かう関心がa であらわされる重力ネルギー。
aの力でひきつけられOはIの重力にひきつけられIを回るように軌道が変わる。
2、灰色の面がOにかかった重力のエネルギー量a、Oにかかったが力が、私Iに取り込まれる。そのa のエネルギーがIにかかり、その力でIは加速される。その加速された速度がb。
3、I はbの速度で運動しはじめる。その加速により I のエネルギーは増え、質量が増す。それが進むと肥大化し、質量が肥大した I はより大きな重力でOを I 自身の軌道に巻き込むことになる。
☆これが自己に対する関心でいっぱいの人が自分のわがままで他の人を巻き込んでいくパターンの図式。また周りで起こる出来事や人間関係もその人に巻き込まれていく。自己 I が肥大化し、その質量から膨大な重力が発生し、近くを通過するあらゆる出来事、人を自分の重力圏内に引き込んでいく。
☆ I の移動速度を減速し安定した速度まで減速することで、周りの出来事や人間関係に対して適切な選択や反応を持つことができるようになる。
減速する方法はより高次元のエネルギーを要する。つまり神に近づくことで肥大化した自分を謙遜に保てるようになる。 I が質量を持たなくなれば、Oをひきつけることもなくなる。 I もO もただ宇宙に浮遊する存在となる。
宗教的といわれるだろうが、仮説の五次元理論から人の心または魂の中に三次元の宇宙が内包されている。その内包されたミクロコスモスが I や O であり、心が四次元のものである人間がともに接しあう表面部分(四次元の表面は三次元)は想像を絶する巨大な宇宙そのもの、小さな人間の体の中の心(魂)の中に無限大の宇宙が内包されているという、理解しがたい構造になっている。
その核が太陽系である。占星術は迷信や非科学的なものではなく、この心の中に内包されている三次元世界・・・つまり宇宙そのものが心(魂)を作る構造であるという非現実的で理解しがたい根本が土台となっている。
このミクロコスモスの運動や変化、影響が、心理のメカニズムである。
I はその人の心(魂)、あるいは意識、Oは外にあるもの、それは出来事、出会う人、世界、社会、環境、まさに I が接する外のあらゆること、それらいろいろなことがつねに I に接近しては通過していく。それはさまざまな影響を与えていく。それに向かう I (私)の関心がエネルギー a
、それは I の重力でもあり、Oを引きつける。a重力の大きさにより、さまざまな力学的影響をOに及ぼす。
Oはただ通過することもあれば、I にひきつけられ、その重力圏に入り、その軌道を変え、I の周りを回周することもあれば、彗星のように近づき、軌道が弧を描いて、そのまま飛び去ってしまうこともある。
I(私)が関心を持ち、その意識のなかにいつもあり、それが意識の中に定着し、常に考えまた影響を得ている状態がOが衛星のように I の周りを回周する軌道にとどまったことをあらわす。ただ彗星のように一度近づき、離れていく時は、強いインパクトを I (私)の意識の中に残していく、それは大きな痕跡として残る。
I (私)はOに向かった関心(重力)aによって、影響を受け、運動を始める。それがbとう加速である。bの速度で I は運動を始める。運動を始めることで、質量が生まれる。ただのエネルギーであった I が質量を持ち物質化する。そのことで脳の中で意識として三次元で感知されるものとなる。
具体的にはストレスとなる事件(O)が起き、それにI(私)がaという力で関心を持ち、それに影響される。それはaとう力でI(私)に重力的影響が加わり、そのことでI(私)はbという速度で運動を始める。aO2のエネルギーで加速される。その加速でI(私)は質量が発生し、それが肥大化すると大きな重力を持つことになる。
私(I)の周りで起こる出来事や人間関係(O)が私(I)の肥大化した惑星の巨大な重力圏に取り込まれて飲み込まれるように、私(I)に巻き込まれていく。それは人を振り回すことになる。
そこから不安、不信、疑い、悲愴といったものが生まれていく。
それを止めるものは減速しかない。どうやって暴走し肥大化する私(I)を減速するのか。
では平安に満ちた私(I)とは何か?
それは質量ゼロの私だ。だから外から来る出来事や人間関係に影響されること無く、またはそれに不必要な関心を持つことなく、落ち着いて穏やかに暮らすことができる。私(I)という宇宙の間に聖霊が満ちていることでだ。五次元の世界の海に私たちは浮遊している。その水が聖霊だ。その聖霊の水によって互いにぶつかることなく安定して浮遊している。それぞれを意識するものの、それは負の関心ではなく、積極的で穏やかな関心だ。それぞれの出来事や近づく人間関係にも負ではなく積極的で前向きな反応を変化を受け入れることができる。
五次元のエネルギーである愛(創造のエネルギー)で満たされ、その中でエネルギーを吸収しながら生きているからだ。それは六次元であるイエスキリストを通じて七次元の神からエネルギーを注がれているからである。
しかし、そのエネルギーの流れが途絶えると、聖霊の海は枯渇し、私(I)は真空の宇宙の中を漂うことになり、前述の現象がおきることとなる。
つまり導き出されるものは、唯一の答えは福音、イエス・キリストとつながり、救われ、聖霊を受け、聖霊の海に漂うことだ。
これはまったく宗教的であり、あまり受け入れられないことであろうが、これが私の仮説である。
仮説その2
2014年3月4日仮説
2月22日にWRAPの勉強会に参加し、そこからインスパイアされた仮説です。
a,bはこの三次元の世界で表出する意識。この三次元に生きる人間にはこれしか見えない、または感じ取ることしかできない。外で起こったことに向かう関心の強さ、その人の選択した反応のつよさがaだ。そしてその結果、その人の内面で起こり、その人の意識の中でその人の情動反応のつよさがbだ。
1=(aO2)(bI3)×
四次元空間で時間軸上でさまざまなできごとが、人それぞれの心をかすめていく(人とのかかわりや出来事に対する無意識の反応または深層心理)。その時の相対的な移動速度、または簡単にはその人の心を出来事が過ぎていくときの速度、また意識のつよさがaだ。三次元の生物である周りの人には無意識での反応であるOは感知されず、その人に起きている意識的に目に見える反応aだけが感知できる。もちろん本人もそうだ。例えば「今日は気がふさぐでもなんでだ。そうね何かあなた今日は暗いよ、でもどうして」どうしてが O であり、目に見えて周りの人にも自分でもわかる現れている意識が a である。それに対してどう反応するかはその人の選択する力により。Oが四次元の時間軸上をかすめていくことで、四次元磁場での反応が起き、その結果としてI が発生する。その人の心の内面で起こる反応であり、その人の意識エネルギーだ。Oがかすめていくことで、四次元磁場での磁場反応で(発電の原理と同じ)I が発生する。もちろん同じく三次元の生物であるわたしたちにはそれを感知することはできない。Iにともなって三次元に発生したbという意識反応のエネルギーだけを感知する。
これは例えだが、「親しい友達ができあるとき遠まわしに、その友達が自分について悪いことを言っていたということを他の人がから聞いた。その出来事がその人に起きることがOだ。つまり、その出来事がその人の時間軸の現在(0)を通り過ぎる。小惑星が地球をかすめ過ぎ去るように、その瞬間重力や磁場の影響を与えていく。その磁場の影響にたいして現実的心が反応して負の感情を抱く、・・嫌われている、自分はだめだ、・・・それがaだ。それは負の数値だ。その現象と同時に心の中で自分への不安や友達への疑いやどうしたらいいのだろうと戸惑いが生まれる。それがIだ。もちろん同じく負の数値になる。そしてそれを意識するつよさがbである。aOが負の大きな数値になるとIは肥大化し、その人の心を不安と不信で飲み込んでします。それはbという意識がつまり考えて意識することができなくなることでbはとても小さな数値になる。この状態がうつ状態、あるいはメランコリーといえる。そしてもちろんXは小さな数値となる。うつはaOが肥大化した状態。
WRAPはbを正常値に保ち、Iを健全なプラスに変えていく手法だ。
ここで面白いことはOが1から2になるとOは4になるが、Iは3乗倍になるので8となり、その2倍になる。外の出来事に対するaOの反応が2倍になると、心の内面で起こる危機的な情動はその倍になるということだ。逆に外の出来事に対する反応を半部に抑えたら、内側で起こる情動の危機は4分の1になる。色々な刺激は外から来る。それに対する選択反応力をつけることで、自分の内側に起こる危機的な情動を小さく納めることができるようになるということだ。
躁状態はbが巨大化してO,Iが極小化することだ。自分の中のハイテンションな関心が情動をヒッチハイクしてのっとってしまう。外へ対しても無関心、ただ自分の内側のハイテンションな情動のみになる。当然、他にも自己にも無関心。心が暴走する。そして惑星の局軸の反転現象と同じことが起きて、それがうつ状態に一瞬に反転しています。それがそううつ状態。
統合失調症はO,Iが肥大化しa,bがほぼ0に近くなる状態、Xも同じく0に近くなる。自分の意識とは関係なく、外から来る刺激やそれに伴って反応して発生する内側の情動反応Iが肥大化し意識全体のヒッチハイクしていまう。まさに極限の質量を持つブラックホールを心の中に持つことになり、すべてのものがゆがんで見え聞こえ、そして時間の動きもほぼ0に限りなく近づき静止状態となる。これが急性期だ。周りの人には危機的状態だが本人にはただ時間が止まりブラックホールの中に吸い込まれて何もかもがゆがみ、外界ははるか遠くにかすむ存在となる。
仮説3
2015年1月24日
爆発の研究
アウター(O)である外のこと、例えば他の人、出来事などに自身(I)が関心を引かれ、そこへ引っ張られ、意識のエネルギーが向かうのが a 、地球の周りを廻る月のように地球である I の重力に捕らえられた O 、反対に言えば、O に関心を捕らえたれた I は O を自身の関心(重力圏)に取り込み O は I の周りを廻る軌道に入る。 I は O から大きな重力の影響を受けて、人工衛星が惑星を利用して加速する同じ原理で I の自転速度も加速され I の運動エネルギーが急激に増加する。それは全図ではそのエネルギーを b として表現し、 I がbのエネルギー速度で加速されたように表現したが、それは五次元の第五軸での加速を表現した。それは違った言い方をすれば I の内側へ向かうエネルギーの加速になる。
例えの文章にすると、外で起きることあるいは対人関係に敏感な人が、自分のそばで何か気になることが起こる、あるいは何か理解できないことを言われたり、行為を受けたりして、それが何なのかわからなくなり、なぜかと考え始める。それが a 。そしてそれい意識が集中し、それで頭がいっぱいになり、前頭葉も扁桃核も海馬もその意識にいっぱいになる。それが O を i の軌道に取り込んだ状態。それを考え続け、眠れないほど考え続け、そのことに対する関心が膨大になることで、何が真実で何が実際なのかから離れて自身の頭の中での推察や推測、そして進展すれば妄想となる。それがb のエネルギーで i が加速された状態。真実や実際ではなく、自分の思いの中での妄想または推測でいっぱいになり、思考の方向が自身の内側に強く向かう。
それは自身の頭の中での苦しい苦労と苦悩となる。
深い悩みに捕らえたれた状態となる。
そこからどう立ち直るかはさまざまな道がある。
さて統合失調症の苦労を持つ人なら、こんな状態になることもある。それが爆破。頭の中での妄想、思考、推察、推測が爆発的な速度で繰り返され、それが幻聴、幻覚という症状にまでになり、そしてその苦しさに耐え切れなくなり爆発を起こす。
その爆発でエネルギーが解放される。それしか減速の方法がなかった。爆発の度にエネルギーが失われ続けていく。爆発の後元気がなく、弱弱しく見えるのはそのためだ。
そして爆発の繰り返しで危機的な状況を乗り越えるのだ。それは自殺や自暴自棄になり自己破壊や人を傷つけるのを乗り切る自然の体に組み込まれた生きる知恵だ。それは具体的には自殺や自傷や自己破滅の直前に爆発し(感情の爆発、暴言、人を傷つけない程度の暴力、逃走)それを機会に入院し、治療を受けて、症状が緩和することだ。当然大量のエネルギーを消費するので、入院中は十分な休息となり、退院後もそうなる。
まるで超新星の爆発のように大爆発となるので、リカバリーには時間がかかる。しかし治るわけではない。 a を生む思考の癖は本人にいつまでも残っている。
そこで発見されたのがべてるの家の当事者研究だと思う。
爆発の研究が最初だ。当事者研究によってその人の心(五次元の現象)の癖が修正され、爆発をできるだけ回避できるようになった。しかしもちろん爆発は起こる。しかしその後のケアーが違う。その爆発のメカニズムが解明され、その後のリカバリーや運がよければ爆発回避の方法が地域の人との連携で備えられ、超新星爆発を何度も起こさなくてすむようになる。
超新星この言葉が鍵であることに気がついた。星の死=魂の死。爆発の度にエネルギーが放出され、その人自身の心のエネルギー(五次元エネルギー)が消耗し、ある時それがゼロになり魂の死を迎える。爆発がおき、その中心にブラックホールが生まれ、その人の魂が死を迎える。その人がもう自身を意識できなくなるのだ。
その死!
その死が魂の死!
聖書マタイの福音書10章28節にこうある。
「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」
ここに答えがある。魂の死の唯一の答えはイエスキリストを救い主とて受け入れること。救われることとはこのことである。
七次元の存在である神の命のエネルギー、それが五次元の存在である人の魂に流れる六次元のパイプとしてのイエスキリスト。わたしたち死せる魂が七次元の神と六次元のイエスキリストを通じてつながることで、生命のエネルギーは絶えることなく流れいるようになる。それが魂の救い、永遠の命。
この世のからだは老衰や病気や事故などで死を迎える。魂も同じだ。しかしイエスキリストの救いにより、例え死んでしまう体も魂も永遠の命で生まれ変わることを以上のような言い方でたとえることができる。
統合失調症が完解する人も大勢いる。あるいは癒される人も。またべてるの家の早坂さんのように癒されない人もいる。長年病気の苦労を負って生きている人もいる。しかし豊かな暮らしだ。病気があるから不幸・・・ではない。病気があっても豊かな暮らし、意義ある暮らしがある。爆発の繰り返しでも人生を自分のものとして有意義に生きていくことができる。
病気が残り、障害者となるのは一部の人だが、だからこそイエスキリストは救いとなる。まさにわたしが必要なのは罪びとと病人であるとイエスが言った様に、そのような苦労を抱える人のためにこそイエスはそばにいて生きておられる。
(下図参照)
心理相対性理論や五次元理論の目的は福音を違った形で伝える方法にしか過ぎません。聖書を読んでそれで救われるならそれに越したことはありません。現代の高等教育や無神論の初等教育で考えを固められてしまった方々にわかりやすいたとえてしてあえてこの方法を提唱しているだけです。
また心理相対性理論や五次元理論で違った形の生き方やリカバリーの道の発見もあることと思います。
仮説4
2016年4月21日
仮説1の不安についてさらに展開して
上の図は4次元のゆがんだ空間で起こっていることを表わしている。三次元の空間では
I は静止した場所にあり、三次元では空間は歪んでは見えないので O はまっすぐから上の方に直進している。
Oという出来事が起きて不安になることを上の図はまた表わしている。
OはIの近くを通過する。つまり、ある人の暮らしの中で出来事が起こり、それを意識したIがそれを自分い取り巻き、その取り巻いたエネルギーがIの内側に入り込み、その人の内面に向かうエネルギーbになる。それが不安という負のエネルギーになり、bは-bになる。Iが少しでも大きくなれば-bI3となり巨大な負のエネルギーとなる。それは自分の思いの内側に向かう不安の強いエネルギーとなる。
その時その人はその不安に心を乗っ取られ、それで思いが一杯になる。
ここで面白いことはその人の不安の原因となったOはただその人の生活空間をまっすぐ移動していただけで通り過ぎただけだ。実際はその人とは全く関係のないことなのに、それを個人的に受け止めてしまったことだ。
不安を感じた瞬間にIは大きな負のエネルギーになり、Iの周りの空間が歪みOをIの重力の場の中に取り込んでしまう。それが上の図だ。これが不安を表現する単純な図だ。
さて、それほど不安を抱かない人とは空間の歪みを生成していない人だ。まさに周りの出来事はその人の生活の中でまっすぐ移動していく、そうただその人の生活の中でただ過ぎていくこととして捉えている。実は本人の心の状況とは全く関係のないことだ。心配することと気遣うこと、助けることは違う。
心配することはIである、その人の自己中心的なエネルギー作用だ。自分のことを第一に考えているのでIが大きく作用する。もしその人が他の人Oを冷静に意識しているなら、起きていることを素直に見る。それはOがまっすぐ移動していくのを冷静に見ていることになる。不幸な出来事を他の人に起こっていることとだと冷静に見つめ、そしてそれに対して感情的にならないで、冷静に助けの手や支援や、解決策を考えて行動することができる。それは前頭葉の成熟した働きによる。しかし扁桃体の情動の不安に駆られ、脳がそれにヒッチハイクされ、前頭葉がそれにブレーキや修正をかけられない状態が上の図となる。Iは現実と関係なく自分の内に不安をため、それに向かって深く沈んで行く。心理的エネルギーの流れはIの中心へと向かいIの中心は大きなエネルギーにより押しつぶされ、質量が重いくなる。それがさらにIを取り囲む空間をゆがめる。そしてさらに自分の周りで起こる出来事Oを自分の中に取り込みさらに-bI3は大きなエネルギーになっていく。それが病的な現象となって現れる。
不安の解消、そしてうつ状態からの解放は、前頭葉と扁桃体の回路を再生し、負の情動を制御し、心の中の歪みを正すことだ。そのことによって、自分のまわりで起こっていることを冷静に見つめ考え、対処できるようになる。
心の存在する四次元空間の歪みがなくなることとなる。
Iが大きな質量を持つことで四次元空間が歪み、思考の歪みを生じさせる。だから四次元空間のゆがみを修正することで、不安やうつなどの心理状態から解放される。
仮説5
2018年5月20日
うつの法則
強い批判を受ける、人格を否定されるような体験をする、また仕事の上司からいわれのない叱責を受け心が傷つけられるなど、突然の衝撃を心が受ける時、I のエネルギーが a に転換される。I は限りなく ゼロに近くなり、そのエネルギーは a
に転換され大きな意識となり傷ついた体験に向かう。aO2は巨大なエネルギーになる。I3はほぼセロに近くなり、意識の中では無に等しくなる。I3は巨大な-aエネルギーに転換してしまう。恐怖エネルギー転換だ。その人の意識の中自分は消え去り、恐怖や恐れ、不安という意識が-a
であり、それがその人の思考全体をヒッチハイクしてします。どのような手立ても通用せず、-a に飲み込まれた意識は欝々とした思考回路の中に閉じ込められ、その負のエネルギーによって扁桃核は充満してしまう。前頭葉の働きは阻止され、扁桃核の負の情動が意識全体を支配してしまう。そこから抜け出ることは至難の業となる。これが恒常的なものとなると鬱だ。-aのエネルギーは I3で表されるその人自身の大脳辺縁系、大脳新皮質の理性、あるいはその人自身のしっかりとして自意識が破壊され、それが恐れというエネルギーに転換されたものだ。悩みの中にあるときその人は自分を見失い(I3)が限りなくゼロになっている。図解説No1とは異なり、I3は周りを飲み込む代わりに、-aの巨大なエネルギーに転換され限りなくゼロに近くなり、それはその人が自分自身を見失い-aとう負の意識のエネルギーに強く支配されてしまうと、これが鬱状態だ。
鬱状態とはならなくとも、それがくよくよしたり、うつうつした気持ちの継続した状態となる。
それを変えるにはI3を取り戻すことだ。Oに向かう-aの意識をIに再転換することだ。しかしそれは容易なことではない。扁桃核がその情動で満ちているので、それを返還するのはとても難しい。そして側坐核に喜びを感じる思考回路がその時には多く破壊されている状態である。側坐核の喜びの回路とその人自身の意識であるI3を復活させることは至難の業であるが、それは可能である。
それが実践されているのが、べてるの当事者研究であり、AAAの活動でもある。
その人自身の苦労や恐れを誰かが共感してくれ、理解者がいるというつながりがI3であるその人自身の自意識をよみがえらせることになる。
またI3のエネルギーが常に安定している人、(その人自身の生き方を堅く持ち常に前向きに生きている人は大きなエネルギーを持っていて周りに放射している。その人と交わることでエネルギー受け取り、それが呼び水となり、また着火点となり、その人が自分自身の意識を取り戻すきっかけとなり、-aの負の出来事に対してそれで一杯になっている頭の中の思考の塊のエネルギーを分解しI3のその人自身の意識のエネルギーに再転換し、その人が自分自身を見出す結果となることとなる。
そのことにより、鬱状態や、くよくよした心理状態が脱することがで、現実の状態に対して正確に認識できる力Xのエネルギーを取り戻すことにもなる。
大切なことは自分自身であるI3取り戻すことだ。
その為の方法を自分なりに研究することが大切である。
啓発活動
さてだからこそ啓発活動が大切だと思います。上に示した仮説は、あくまでも理屈です。痴呆の人も人生で成功したといわれる人も同じエネルギー総量をもった人間だと簡単に言いたいだけです。統合失調症で普通の生活が送れないと人も、その内側に秘められている可能性や力、エネルギーは同じだと伝えたいだけです。つまり、見方を変えてみましょうと提案したいのです。
その証明に無理やり、相対性理論や物理のうんちくを使ってみましたが、科学の理論など無用です。当事者の方々と共に暮すならそれは良くわかります。とても単純なことで、それは日本の憲法にも書かれた法律でもあります。
ぜひ皆さんにも、深く考えていただきたいと思います。
最後に聖書的見解を!
これはちょっと押し付けがましい、宣教になってしまうかもしれませんが、一意見として聞いてみた下さい。
1=1×1×1の完ぺきな人は存在しないと思います。
聖書の第二コリントの12章9節に「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」
ピリピ3章12節「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。」
コロサイ3章14節「これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」
第一テサロニケ5章13節「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。」
ヤコブ1章17節「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。」
第一ヨハネ4章18節「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」
ヨハネの福音書17章23節「わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。」
最後にヨハネの福音書3章16節「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
イエスキリストによって捕らえられるとあります。そしてそれによって私たちの弱さは完全にあらわれるとあります。そして愛はすべてを完全に結ぶ帯であると!
これからこんなイラストを考えました。
いかがでしょうか。イエスが魂という原子核の中心にあり。外に向けれるエネルギーと内に向けられるエネルギーの粒子を取り込み、完全な輪となり、それには変化とか回転の影とかいうものはなくなります。イエスが中心にあり、あなたを世界をまとめてくれるのです。そしてその中心のイエスは愛です。愛には恐れがない。中心の愛の周りをあなたの外も内も回っています。イエスという太陽から光を受け、そこには恐れや不安という影はなくなります。例えこの世で言う障碍があっても、あなたは完全であり、中心が有り、あなたであるのです。
薬は対症療法、症状を和らげ、生活しやすくしてくれます。真の癒しは、イエスから来ます。あなたを今のあなたのまま完全にしてくれるのです。
祈りとは、神との対話です。そしてエネルギーの交換です。祈ることで、7次元の光の源に心が接続し、イエスを通してあなたの内に光のエネルギーが流れ込んできます。それも尽きることのないエネルギーがそしてそれが命の泉です。ヨハネの福音書4章14節「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。その水とは神から流れる生命エネルギーの流れです。そしてそれを飲むものは渇くことがないのです。それは神のみ言葉を聞くことであり、そしてそれが心の中で積極的思考というプラスのエネルギーになることであり、また5次元エネルギーが流れ込んで、時間という制約を超え、恐れや、心配に流されることなく、希望と信仰を自然にもてるようになり、その人が他の人を愛せるようになるまでに、あふれる泉のようになるということです。他の人を愛するとは、他の人が自立できるよに、生きる力を持つのを助けることです。ここに愛の連鎖反応が起きて、限りなき7次元の神からの生命エネルギーが世界にあふれていくのです。あなたもその泉になれるのです。
ただヨハネ3章16節によればこう祈るだけでいいのです。
「イエス様、心の中にお入り下さい。あなたの恵みにより、私の弱さを完全なものとし、愛によって恐れを取り去ってください。そして永遠の命を与えてください。私の目を開きあなたのくすしきことを教えてください。あなたの聖霊であふれ、他の人を愛せますように。そして生きる喜びを与えてください。イエスキリストのみ名で、アーメン」
さあいかがでしょうか、ぜひお試し下さい。
追記:神のエネルギーは7次元と仮定します。それが6次元のイエスという次元のパイプを通って、5次元のエネルギーとなり、私たちの4次元の魂に流れ込んできます。それは尽きないエネルギーです。それが永遠の命をもたらします。イエスを心に受け入れ、神と尽きない命の源につながることで、私たちには溢れるほどの恵みが注がれ、たといどうであれ、私たちは完全なものとなり、神の美しい波のひとつひとつとなるのです。そしてみな一つとなるのです。
べてるの家の当事者研究は心理相対性理論の研究だと思います。当事者ひとりひとりがそれぞれの時間、感覚、認識、意識のずれを研究しそれを相対的にそれぞれの人が認識する研究だと思います。
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