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5次元理論
人間の心は4次元の性質であることを話しました。
(心理相対性理論から読む⇒ページへジャンプ)人間の体は自由に時間を未来や過去へと行ったり来たりできません。まさに時の刻みと共に存在し、時間があることによってなりたつ3次元の空間の中で物体として息づいています。しかしその体の中にある心は4次元の世界の存在であり、そのために体と関係なく、「心の思い」は時間を未来へ過去へと行ったり来たりしています。それがマイナスに働くと否定的思考や心配、恐れとなり、プラスに働くと積極的思考となり、肯定的に信じる思い、希望や夢になります。そしてその夢や希望が実現すると強い確信が信仰というものです。恐れと信仰が頭の中に同時にあることはありません。信仰は恐れの終わり、そして恐れは信仰の終わりとなります。
次元の説明
0次元は点の世界(長さも幅も高さもありません)、1次元は線の世界(長さだけあります)、2次元は縦と横の世界、面の世界です。でも高さはありません。2次元の世界で誰かに会いに行くには、その人とばったりとぶつかりあう方法しかありません。高さがないので見ることができません。同じ場所に来た時衝突することで存在を知ることができるのです。
3次元は縦、横、奥行きからできています。それが空間です。(3次元の世界では誰かに会うのにばったりとぶつかるだけでなく、高さがあるので、ちょっと離れた場所からでも、見つけることができます。)そして時間があることで、空間は止まったままの静止画像のような世界ではなく、動いているのです。時間があるからこそ、物事は動き、変化し、生きています。時間が無いなら一瞬の出来事となり、いつもあるものではなくなります。時間があることでこの世界は時間と共に動き、息づき、そして現実の世界として感じれるのです。時間が無ければ、一瞬映し出された3D映像のようなものです。それは見えますが、実体の無いもの、ただの映像でしかありません。しかし時間があることで、それは実体のある物として存在している物体となるのです。
1次元も、2次元も時間が無いので、絵や写真のように止まった世界です。1次元、2次元と3次元の大きな違いは、3次元の世界は動き、そして変化し、生きているということです。そして3次元の表面は面(2次元)でできていて、2次元は1次元(線)のつながりでできていて、1次元は0次元(点)のつながりでできています。
さて、0次元は0次元からは見ることはできません。1次元の線の世界から、点であることが見えます。そして1次元の線は2次元である面の世界から線を見ることができます。面の中に線があるからです。そして2次元である面(表面)は3次元の世界の中で見ることができます。3次元のものは何でも高さ横、奥行きがあります。そしてそれを包んでいるのが面です。
面は物と物との境界です。表面はそれぞれの物質の境界です。面は境目としてあるものの、それは存在するだけで、実際は厚さがまったく無い厚さ0の面です。存在するものの物質的に実在しているものではありません。それが3次元の中の2次元の存在です。ただの区きりです。それが3次元を構成し、物と物とを分けている面、境界面です。2次元という面、それはいろいろな形態をしています。波打っていたり、凸面凹面、さまざまな形、3次元では実在する物体の境界です。あなたの手が石に触れるなら石と手が触れたところは面で接します。しかしその面には厚さがありません。ただ手と石が触れている面があるのみです。
このように3次元では2次元である面によって3次元の物体の表面ができています。
4次元の物体、または4次元の立方体は3次元がその面となっています。3次元の面に囲まれて4次元の立方体、物体ができています。
4次元は縦、横、幅、そして時間という4つ軸で出来ています。この世界は縦横幅で物ができていますが、そこに時間という、もう一つの軸があります。
時間があるので私たちは刻々と動いているこの世界を、目で見ることができます。時間があるのですべてが存在するものとなります。しかしもし時間が止まってしまうなら、物体は存在しなくなります。それは止まっている人は、映画のシーンのように感覚も意識も止まり命も止まっていて、まったく無の状態です。
しかし止まった時間が動き始めたとたん、また実存するものとなり、命を取り戻し、すべてがまた存在し始めます。
映画で時間が止まり、ただひとり、その中で存在している主人公が、すべてが凍りついたように止まっている街の姿を見て驚いているシーンがります。それはとってもわかりやすい描写です。凍りついて動きが止まった人には意識も止まり、息も止まり、命も止まり、存在もとまっています。
時間が無条件に淡々とすぎていく3次元と違い、時間という自由に移動できるあらたな軸(縦横幅と同じようなもう一つの移動可能なスケール)がある4次元から3次元を見ると、現在も過去も未来も一度で眺めることができるのです。山の頂から、広い平野を見渡すように、時間という距離が広さのように見えるのです。そして4次元の物質を作っている表面が3次元面になります。それは3次元の感覚しか持たない私たちには想像できません。ただ概念としての理解にとどまるだけです。
このような世界が実は心が存在し、生きている世界、空間なのです。心、或いは人間の意識とは3次元のエネルギー形態ではなく、4次元のエネルギーの形態なのです。そして心あるいは意識、または精神とは3次元の面で構成される立体としての物体とは違い、目で見える形として存在していない生命体なのです。そして同じ4次元の世界に、人間の心以外にも霊的生命体が存在し、そこで心と心の間、そして他の4次元生命体との関係やコミュニケーションや、エネルギーのやりとりが起こっています。そして4次元の世界では時間の移動は、3次元の私たちの生きている世界での場所の移動と同じです。
4次元の世界で、3次元で「止まることなく一定に流れていく時間の流れ、3次元では触れることも変えることも出来ない自然の変化」に相当するものは5次元の5番目の軸にあたるものは3次元の表現でいう創造⇔消滅建設的⇔否定的、愛⇔憎しみ、平安⇔恐れ」と言った言葉で表現できるものです。
4次元では触れることのできない、4次元世界での自然の流れは(3次元の時間の流れにあたるもの)が上に記したものです。そして時間が4次元での4番目の座標軸であるように、「創造⇔消滅建設的⇔否定的、愛⇔憎しみ、平安⇔恐れ」の軸が5次元の5番目の座標軸となります。
その5次元の第5番目の軸の変化が3次元の世界に反映したものが、前述した熱力学の第二の法則です。それは人間にとっては老化であり、物質的には古くなること、腐ること、老朽化すること、心では不信を抱き愛がなくなること、心配し、未来に不安を抱えること、実体ではものが新鮮でなくなること、廃れること、そして創造の反対である破壊であり、熱力学第二の法則の例えで言えば水面にたれたインクがまばらに水の中に広がっていく様子、まとまりから混乱へという物質的性質です。
だから5次元では時間の経過と、ものの老化や腐敗や自然破壊は相対していません。3次元では時間の経過とともに物は老化し腐敗していきます。
つまり3次元の世界の「時間の刻々と過ぎる一定の変動」は4次元世界では「創造―破壊」の刻々とした変動にあたります。
しかし5次元から何らかの現象により5次元のエネルギーを受けるようになると、4次元世界での「創造―破壊」の刻々とした変動が3次元の私たちの肉体に反映して、5次元の第5番目の軸である創造のエネルギーが注がれることが起こると、3次元での時間の変化と同時に老化や劣化現象が起きなくなることがあります。5次元の5番目の創造消滅軸での3次元に反映された自然の変化は老化、腐敗、劣化現象、死などですが、その自然の変化に反したことが5次元の5番目の軸上のエネルギーがプラス方向への変化することで発生するのです。極端なものが死からの復活、或いは若返りです。腐っていたものが元へ戻る。病気が治癒を経ないで癒される。体調不良が急に解消する。混乱していたものが単純になる。酸化したものが還元する。精神的なことで言うなら恐れが急に解消する。悲しい思いが反転して、そのような状況でも喜びを見出す。などなど・・・・自然の劣化と反対のことが起きるのです。
年をとっても若い人がたくさんいます。また愛がなくなることや、心の平安も時間の経過とは関係有りません。いつまでも続く愛や思いがあります。そして、何が起こってもゆれることのない平安を心に持つことができます。それは肉的な力ではなく、5次元から来る積極的なプラスの霊的エネルギーを吸収した私たちの心と肉体に起こることです。
5次元の5番の目の軸でのエネルギー変化、「創造−破壊(消滅)」「愛−憎しみ」「平安−恐れ」「命−死」という5次元世界での経過変化が、この私たちの3次元の世界に反映すると「病気、老化、心の不安、腐敗、憎しみ、ねたみ、後悔」逆に「いやし、健康、新鮮、平安、愛、よろこび、積極的な思い」といったものとして現れます。
4次元にある心が5次元からのプラスのエネルギーの流れを受け入れ、そのエネルギーを心に吸収し、エネルギーレベルをプラスに保っているなら、4次元での「創造−破壊」「老化」「生から死」「愛−憎しみ」という自然の変化の流れのままに、現実の世界が流されなくなります。
何もしなければ、簡単に老化し死んでしまい、また愛さなければ簡単に恐れや憎しみ、そして暗い心に陥って自滅してしまうのです。それが4次元での自然の変化です。この世界のものが古くなったり、腐ったり、老化したり、さびつくのは時間の変化のためではなく、5次元の5番目の軸における、「創造⇒破壊」の4次元の世界に起こる刻一刻と起こる自然な変動によります。3次元で4次元での時間軸での変動、つまり時間が刻一刻と誰にも止められることなく、未来へ進んでいくという絶対的変動と同じです。
それは私たちの心が4次元の世界で、
心理相対性理論で仮定したようなエネルギー変化を起こすことで、5次元へのエネルギーの変化が創造―破壊(消滅)の変化を引き入れるからです。
逆に5次元のプラスエネルギーを吸収することで、その4次元の自然の変化に影響されなくなるのです。もっと簡単にはプラス思考をマスターすれば、それが
プラスの5次元エネルギー「創造と愛と平安」を心の中で高めることになります。
これがストレスや心の病気の癒しをもたらす真の薬かもしれません。
天地創造の補足のための仮定:神ははじめに天と地とを創造された!
光は0次元、そのために時間がない。この0次元の点(体積0、質量0)のかさなりから宇宙ができている。そのために光をどこから見ても光の速度は同じというアインシュタインの光速の理論がでてくる。光(0次元)の連なりが光の波としての性質(量子理論)。光の波の高さを表すのは出力の強さではなく、その場所で光が発見される確立のたかさ。光の0次元としての性質から相対性理論ができたと考える。
神の創造の最小の形が0次元の点、神は無からあらゆるものを創造された。それが素材となり、組み合わされ、さまざまな元素や物質が作られた。0次元の光の点は光速で動いている。しかし速度が光速の数パーセント落ちると、運動エネルギーが質量に転換されはじめ、物質化する。それが0次元の光が3次元の物質化であり、3次元の物質になることで時間という領域に入る。それまで光だった無の存在が時間という、存在する世界の中で物質となり「有る」ものとなる。
すべてのものは光からできた。
はじめに神は「光あれ」と言われ(創世記1章3節)、光を作られた。宇宙や太陽が創造される前に光が創造された。その光は太陽の光ではなくエネルギーとしての光。0次元としての光。光はエネルギーそのもの、神に向かっていれば、いつでも限りなくエネルギーが注ぎ込まれる。植物はその現実的な例。光合成によって光を物質に変え、それを蓄える。それを食物として人間が食べる。そしてそれが人間の生きるエネルギーとなる。
しかし神の元を離れた、サタンの軍勢たちは、もう光を神から限りなく得ることはできない。なぜなら彼らは闇の方を向き、光を受けないから。(ヨハネ3章20、21節「悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」)それゆえに、サタンの軍勢は生きるために、光に代わるエネルギーを採取する必要がある。それが5次元エネルギーとしての人の命。そして人の中にある「幸せ」という光のエネルギー、それを採取することで、エネルギーを得る。
さて、エネルギー保存の法則によれば、サタンの軍勢によって、奪われ消費されたエネルギーは違った形として、放出される。それが私たち人が学ぶ「教訓」、そこから知恵を得、心の成長を得る。これが5次元エネルギーの循環。さまざまな歴史の中で、サタンの軍勢は神の創造を破壊し、それを彼らの生きるための食物として摂取してきた。しかし、それは人類への教訓、成長のカギとなってきた。それは歴史から学ぶことであり、そして悲惨な出来事や事件、戦争から、重要な教訓を学び、愛と平和の大切さを知ることにつながる。つまりイエスの来臨によって、サタンが排除されない限り、神の創造の破壊・・・人間の苦悩と争いと悲しみは終わらない。
ところで、メッセージを伝えるということは、このサタンから排出された、エネルギーを生命エネルギーに転換して、それをまた人々に与えること。これが宣教師の働き。それらのエネルギーが音楽や文学、映画、芸術となり、人間の社会に還流する。建設的なエネルギーに転換されて、あるいは負のエネルギーのままとして。
さて電気の流れは磁場ができることで発生する。あるいは電子が流れることで、そのまわりに磁場エネルギーが発生する。5次元の磁場ができることで、その中を光エネルギーが流れることで、人間の体内に生命エネルギーが発生し、光のエネルギーが命に転換される。つまり、いつも光エネルギーが体の中を流れていることが「生きている」ということ!
過去から学ぶ、−1×−1=+1
さて、下のグラフにサタンの軍勢から放出されたエネルギーが時間軸の反対側に移動することでマイナスからプラスに代わることが分かる。過去に起こった出来事を未来へと送ることで、マイナスのエネルギーがプラスへと転換される。それは過去から教訓を学び、心にエネルギーとして取り入れたことを意味する。また逆のこともいえる。命のエネルギーが過去を思い煩うことで、時間軸jの反対側に移動してマイナスエネルギーに転換してしまう。これがこころが重くなり、試練を抱えること。
さて、グラフ上は過去がないことになる。実際は過去から未来へという動きではない。現実の世界は時間ともに刻々と変化し、そして時間があることによってできる空間の中に存在する。つまり、過去というものはない。常に現在であり。それが並んでいるに過ぎない。4次元の時間軸の−とは実際に存在するものではない。(たとえばクッキーが1個あるということはありえるが。今この皿の中にクッキーが−1個あるということはありえない。−とは観念の世界で、実在していない。)−時間とは観念上のこと。4次元の世界ではあらゆる出来事があちこちに散らばって存在してる(これを時間野ということにする。)私たちの意識はそれを一つ一つとらえて、それを今として感じている。過去に戻るということは時間をマイナスに移動することではなく。前に体験した時間野の場所にまた移動すること。一般の人は時間野に並んでいる出来事軸の列を隣へ隣へと移動していく。時間の経過と一緒に起こる出来事を時間順に体験していく。しかし心は4次元のものなので、ストレスなどの負の5次元エネルギーを得ると、運動エネルギーとなり、時間野をあちこちと動き始める。これが過去を思っての失敗感や後悔、未来を思っての不安となる。−1を+1にする方法は−1に−1をかけること。すると+1になる。それは−1という後悔や不安に過去から学ぶという時間野の移動エネルギー−1をかけること。
つまり過去から学ぶということ!
または−1を二乗すること。−1
2=1、それはサンタによってもたらされた苦しみや悲しみや苦労から教訓を学び、サタンが排出した−1エネルギーを重ねること。これも同じく、人生から体験を通して教訓を学び、その負の出来事が人生のプラスエネルギーにするという積極的志向を表す。
さあこれが人生の屁理屈数学です。
ただ単純にいえばローマ8章28節「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」
人生のあらゆることが・・・益となること。そのためには心を前向きに、そして積極的思考を身に付け、それを生きること!
4次元の説明リンク⇒
4次元から5次元の世界へ
アインシュタインはこの宇宙空間が4次元の空間であることを証明しました。そしてその後の天体観測により証明されています。私たちが生き暮らしている世界は4次元の世界です。体という3次元の物質が時間があることで命を得、そして心は4次元の器官そのものであり、脳と連携して働いています。
さて5次元の世界の5番目の軸とは何でしょうか?それは破壊と創造です。5番目の軸でプラス方向は創造です。また愛です。そしてマイナス方向は破壊です。それは腐敗や憎しみ、などマイナスのものです。
人間の老化や物が古くなることも時間の経過と共に、この5次元の第5番目の軸でのエネルギー変化がマイナスに向かったためです。年をとってもあの人は若くて元気だというのは、その人が5次元の5番目の軸の創造と破壊の軸でのエネルギーの下降変化が他の人よりゆっくりだったからです。
心の変化も同じです。人を愛する、それはこの5番目の軸のエネルギーがプラスに上昇しているからです。逆に人を憎む、それはこれがマイナスに下降しているからです。3次元、4次元、5次元と互いにエネルギーは影響しあっています。それぞれのエネルギーがそれぞれの次元のエネルギーに転換しているのです。
物が腐る現象もそうです。4次元の世界で防腐剤が科学的に分子レベルで酸化を防止することで、5次元での創造破壊の5番目の軸の上昇下降を0にしているのです。ではお酒など、醸造することでさらにおいしく、栄養価を高くする食品はどうでしょう。酵母などによって分子レベルでの活動が5次元の5番目のエネルギー軸でエネルギーの上昇を起こしているからです。
心も同じです。幸せとはこの第5番目のエネルギーが上昇しているからです。では不幸や心の苦しさは逆に下降しているからです。
この第5番目の軸のエネルギーはグラフでは0が一番下の点になります。片方、創造(愛、積極的思考)のエネルギーから0点を通りもう片側の破壊と崩壊(憎しみ、腐敗、老化など・・・)へと進みます。Uの字型になります。
y=x2と似たような曲線を思い浮かべてください。愛が憎しみに変わるとありますが、5次元の第5番目の軸のエネルギー軸で創造(愛)のエネルギーが中心軸を対称移動して、反対側に移り、エネルギー量は同じでも、それが負のエネルギーに転換してしまったことです。このように5次元軸での第5番目のエネルギー軸でのエネルギー変化、転換、移動が心のさまざまな現象として、現実に表れるのだと仮定できます。
6次元の軸は神という軸へまっすぐに向かう方向、6次元の時空の中で唯一の違いは6次元軸で神の方向にまっすぐに向いているか、いないかの二つだけ。神へ対峙していることで7次元からのエネルギーを受け取ることができるが、向いていなければ、それを得ることはできない。これが「救い」の物理的な形。
7次元は神そのもの。そのエネルギーは「光」3次元での光とは違う。5次元軸での創造のエネルギー、4次元ではプラス思考の力、人間の意識には積極的思考として働く。精神的にはその欠如がうつ病の原因となる。高次元のエネルギーの場の変化、端的表現するなら「光」に向かっているか向かっていないか、7次元からの6次元の「イエス」を通じて光のエネルギーを受けているかいないかが脳内の神経伝達物質の変化として反映され、また脳の神経細胞の破壊や傷となる。
心の病気
ここまできたら、もう気がついたと思いますが、心の病気はこの5次元の第5番目の軸の創造破壊軸でのエネルギー変化がマイナスになっている状態です。ストレスや神経伝達物質の異常といった作用が、この第5の軸のエネルギーに転換し、軸上でマイナスになっている状態です。ただそれだけなら気が重い、やる気がでない、なかなか人と交われないなどの、愛と平安ではない行動や反応としてでてきますが、前述のような4次元での時間軸での大きな変動(過去を悔いて、思いが昔へとさまよったり、未来を心配して、思いが先先へと行くことで、時間軸上を過去現在未来と心が移動し始める。)があると、5次元エネルギーの極度の下降や変化が起こり、4次元の器官である、心が抱えることのできない、ストレスとなり、それが心の病だと思います。病気というより心のエネルギーのバランスの変調です。光のスペクトルが変調してしまうのと同じで、色や音が変わってしまうのです。ドップラー効果と同じです。運動速度が速いことで波長が変調するのです。これが幻聴、幻覚、妄想などの統合失調症の症状として3次元世界で表出します。これは「幻」ではなく次元軸でのエネルギーの変化がゆがみを生むのです。それが他との感覚、認識の変異を生じさせ、それが障碍となります。
それがまわりの人との感覚、知覚、意思伝達に共通の信号を授受できなくなり、社会生活上での不都合が発生するのです。これを目に見える世界では心の病気と表現しているのです。あなたの心のエネルギーが違った波長、パルスに変化しただけです。それをあなたもまわりも理解できないので、苦しく辛いのです。
仮説(2013年7月28日挿入)
脳の仕組みで示した大脳辺縁系がアンテナとなり、5次元電磁波を受信する機能があると仮定する。
後に聖書的な解説で語る5次元生命体(単純には霊的存在)から発せられた負の電磁波を受信すると辺縁系は負に帯電し、否定的思考として反映される。まさに情動を発する脳の器官が高次元からのエネルギー波を受信し負の情動を発すると、扁桃核が不安と恐れに包まれ、それに誘引されて、海馬や大脳新皮質から不安の情動と関連する記憶が引き出され、それが思考回路の中で循環し、終いには脳全体をヒッチハイクする。視床下部には下に記する現象が起き、幻聴幻覚が起きる。
あまりににも宗教的になるが悪魔、悪霊とはこの負のエネルギーを発射する存在だ。人間の生命を破壊し、その破壊した命は何らかの形で、彼らの存在するためのエネルギーとなるのだろう。
逆に大脳辺縁系が正の電磁波を受信し、正に帯電するなら不安の反対である平安、幸福感、安心、平常心といった心の状態になる。それは前にそしてこの後でも述べる神からのエネルギー源から光を受け取ることである。
心の病気は大脳辺縁系のアンテナが長い間に渡り負のエネルギーを受け続け、静電気や磁石の原理と同じように負に帯電したままとなった状態だ。
また感情もこのアンテナで常時受け取る信号をそのまま反映する。
アンテナをどちらに向けるかはその人の選択、自由な意思の決定となる。
ここに鍵がある、SSTや認知行動療法はこの訓練である。どうアンテナをコントロールし受信した信号をどう処理するのか、その修理方法を学ぶことで、心を意思とつなげ自分らしさ、自分の生き方をつくりあげることができるようになる。
しかしあなたはあなただということです。この変調を理解することが自己研究でありセルフサポートだと思います。そして似たようなエネルギー場、変調、波長を持つ人たちがつながりあることで、理解しあい支えあい、そして理解し合える仲間を作り、つらさや孤独感のなり生活環境を作っていくことができます。これがケアだと思います。そしてその変調の度合いをしり、社会と交わるために、そこにフィルターをかけて、変調を調節することを学ぶことで、一歩また外へ踏み出すことができます。
具体的には、幻聴、幻覚を存在しないものとして無視するのではなく、それを観察し、研究し、どのように誤作動(ドップラー効果のようなもの)が起きてそのような感覚になるのかを自己研究し、その変調のパターンや原因や発生源を見つけ、5次元エネルギーの変調を調節できるように研究することです。自分のダイヤルをちょっとまわして、調節する・・・そのような技術です。それを学ぶことで、少しずつ障害と言われるものを調節し、生活の辛さをやわらげていくことができると考えます。
3次元、5次元は同時に存在し同じ物そして幻聴、幻覚とは!!!!
3次元の世界は5次元の世界と重なっている。言い換えれば5次元の世界の表面が3次元の光景です。3次元、5次元とは別々の物でなく、同じ物なのです。三角錐を下から見たら四角形、横から見たら三角形に見えます。立体である3次元では三角錐でも、2次元の世界では一方からは四角形、他方からは三角形になるのです。3次元は5次元の世界の一面なのです。3次元では時間軸、創造消滅軸が感知することが出来ないだけです。5次元の世界は私たちが見ているこの世界そのものと同じです。
もしあなたが5次元の存在者なら立っている今ここで4次元の軸である時間の幅を見渡すことができのです。そして違った角度から見ることができるので、今見えている光景とまた違った光景も見えるのです。今だけでなく時間野で未来過去と目視することになるのです。そうなると時間軸で起きていく、人生の失敗成功、悲しい出来事、嬉しい出来事、病気、癒し死などいっぺんに見渡すことができるのです。その時に一喜一憂することはなくなります。なぜなら時の流れの中で起きるすべてをその場で見渡すことができるからです。
今いる感じる実在する現実は3次元世界のあなたの器官が感知認識できる領域です。そこから4次元、5次元のエネルギー源につながり高次元とのエネルギー交換ができれば、4次元軸、5次元軸での新たな空間を感知できるようになります。
しかし何らかの原因である個人が、高次元エネルギー交換が起こっている精神が3次元の目や耳、感覚器官で感知できないものを感知することができるようになると、それは他の人には感知されないので幻聴幻覚幻視妄想などと認識される。5次元に存在する、つまり縦横幅そして4番目の奥行きをもつものが見えるのです。。それは時間空間、または時間野という奥行きを自由に移動しているものを感知し認識すすことができるのです。
またその5次元の物体が時間軸のゼロ地点である現在を通過しているときはそれは誰にでも見えるのです。なぜなら時間が今である0地点にあるので3次元の生命体には目視し認識できる物体化しているからです。それは一瞬である場合があります。皆が何かを感じたということがあります。そのような現象です。しかし何らかの原因で現在という時間から移動して過去や未来といった場に4次元時間軸をほんのわずかでも移動しているある個人だけに起これば、それは幻聴、幻覚、幻視、妄想などと他から認識されてしまいます。
現実的にはっきりとした感覚で4次元の時間野を山の裾野を山頂が見渡すように見る体験をする人はまれでしょう。なぜなら時間野で過去や未来に行き、時間野を俯瞰している自分が、時間野の中の自分を見つけ、そこにいる自分の体に入ったとしたら、その時その人の存在は3次元の存在となり、その時に生きているその人そのものになります。時間の思うままの移動が消失した瞬間その人の意識は現在にだけ存在する物体となります。
5次元空間にいる時は4次元の過去現在未来の時間野を見渡すことになりますが、3次元の存在に戻ることで、本人はまさに元の3次元の意識にもどり、自分が違う時間からそこへ来たことすら意識から無くなります。それは5次元の存在から3次元の肉体の存在になるのでまったく、5次元的機能を失い、元に戻るわけです。それが具体的にはDVDに記録された動画を巻き戻ししたり早や送りしたりして見るのと同じです。ある時点に戻して再生するなら、なんどもどっても忠実に同じ映像音声が再生されます。これと同じことが起こるわけです。
だから小説のように過去に戻った人がその時と違った行動をとってしまい、その結果未来が変わるということは起こりることはありません。なぜなら過去にもどることはただ巻き戻しをして、そこからただ再生するのと同じだからです。同じことを考え、同じ行動をとり、同じタイミングで同じ選択をし・・・つまりただ再生するだけです。
このことから絶対時空野という仮説を提案します。それは5次元軸での0点です。3次元に生きる人が「今」として意識している現実の今このときという現実に存在する時です。全世界、全宇宙が共有している「今」です。
この「今」を意識できなく、心がそこからはみ出てさまようことが精神障害者の苦労です。
精神障害者の幻聴幻覚幻視などは、3次元での視界、聴覚のようにはっきりとしたものではなく、わずかに5次元の性質を得た感覚器が感知する程度なので、それは輪郭があいまいで、もうろうとしたものなので、曇りガラスや画質の悪いDVDの画像、以下の画質、音質のメディア程度のものだろうと思えます。そのためより病的に見えるのです。それが幻聴、幻覚のあいまいさや非現実さとなるのです。
しかしまれにそれがはっきりとした視野や聴覚として感知できる機能までに発達する人がいます。
そういう人はまれで、そういう人は社会で活躍したり、スピリチャリストとしての地位を獲得するのです。
それは感覚器官がはっきりと捉えるので、病的な不確かさが無く、また意識や思考がはっきりとしているので社会の中で適応して地位を得ることができているのです。
しかしそれが蒙昧な感覚でしかない人はその蒙昧な感覚が障害となり、現実の世界での生活や営みに大変な苦労をしています。それは感覚器があいまいなために境界が不明になり、それが現実と感覚器が捉えるあいまいな視野と聴覚との混乱が起きて、それが精神障害と一般に判断されることとなるのです。
これ以上は長い将来の科学的発見と探求を願うだけです。
仮説2015年1月23日
生命生存選択盤状神経ネットワーク
生命生存選択盤層
人の営みは選択の重なり。動物は本能と遺伝的習性で生命生存のためにさまざまな選択をする。
人間は考える葦であると言われるように、大きな大脳新皮質をもち、複雑な神経シナプスのネットワークからなる心と思考を持ち(一般的仮説)、生命生存の選択を一歩歩く度に行っている。
仮説だが、それはこのようなもだとしたら。
人間の脳の中にあるものを引き出しそれを形にしていくことが人間の創造としたら、人間が考えだし文化となっているゲームは脳の中の思考や選択の仕組みをゲームとして組み立てたてたものであると考えられる。外在化した脳の働きが囲碁や将棋として遊戯として楽しまれるのは、脳の機能そのものの働きを仮想で体験し、実際の危害もなく、成功失敗を何度も体験できるからだ。
仮説は囲碁盤のような神経回路のネットワークがあり、その生命生存選択の演習を絶えず行っているのではないだろうか。それは脳の中に囲碁盤のように整然と縦横に並んだ脳細胞の神経回路があるわけではなく、脳全体に神経ネットワークで組まれた囲碁盤状の回路か造られいるのではないだろうか。それが選択、思考回路となっている。
※もちろん囲碁でなくてもいい将棋やチェスなどでも同じである。ゲーム自体、人間の脳の機能を反映したものが広く好まれ普及していくと考えている。脳の働きと呼応するもの、ある意味では知恵が脳の働きをゲームという形に作り上げたのかもしれない。脳の働きと呼応するからこそ、ゲームは面白く、社会に受け入れられ、それが知的活動の大きな関心となっていると考えられる。


仕組みは囲碁と同じだ。四方をかこまれたら終わり。xに黒を置かれたら白は四方を囲まれ死に石となり、取れてしまい終わり。


その盤上で選択演習を行い、四方を囲まれて死石とならないように、さまざまなことを想定して、ゲームを進め、詰められないように、状況を作っていく。そして優勢となり生命生存を果たして行く想定を繰り返し、それを現実世界で実行しては結果を検討し、結果を踏まえ、また囲碁ゲームを繰り返していく。さてそこで詰みとなった場合、その対局は終局し、新しい対局を開始する。それは頭の中での対局が家庭であることを意識が理解しているので、知恵あれば、その詰みとなり、行き詰った対局を終局し(ゲームオーバー)新しい対局を開始る。(新たにゲームを始める)そこには恐れやとらわれがなく自由な発想を持っていばそれができる。あくまでも現実に起こっている状況でなく、頭の中の想定だと知っているので、新たな可能性として再対局を開始する。その積み重ねが日々の選択、行動の選択の積み重ねとなる。ひとつのことに対して幾重にも碁盤が作られることがある。たくさんの対局が行われる。それが積み重なった層となることもある。何十もの層。それが苦労だ。その苦労の中でうまく行った体験を記憶として残す。また再び同じような状況に出会えば、その層から、その盤を呼びだして対局を復習する。それが積み重なっていくと知恵が積み重ねられ、それが経験となり、人生の苦労が軽くなっていく。それは生きるための知恵となる。
囲碁版のような選択実験盤は現実とは関係なく自分が認識する現状となる。賢いなら、囲碁が終局したなら、新しい盤で囲碁を再開する。それが思考の転換、やり直し、再挑戦、いろいろな言い方があるか積極的な生命生存選択となる。
問題は何らかの考え方の偏りや思考転換の難しさをかかえていれば、終局はことの終わり、ひどければ生命の生存の終わり、選択の終わり、絶望を意味する。
人は一つの盤で終局を迎えれば、新しい盤で再演習を開始し可能性を何度も試し、選択の実現を果たして行く。それが重なり層が出来上がる。それが経験、知識として蓄えられる。貴重な情報として脳に記録され、必要に応じて、また引き出され演習の参考として活用される。
選択、実行、実績判断、そして選択、この連続で日々が造られていく。
しかしさらに悪いこととは終局を迎えても、さらに盤の木目を広げて延々と囲碁を続けることもできる。神経回路のシナプスのネットワークの盤は膨大な広さになり、延々と四方を囲まれるのを阻止するために無駄石を打つ終わりなき演習となる。
またこんなことも起こる。現実の良きことがたくさんあるにも拘わらず、失ったこと、心配になること、不安に思いが行き、その要素を石にして自ら結果として不利になる生命生存選択演習を行い、恵まれた環境の中にもいるにかかわらず、それを認識できないで、その不利や生命生存選択演習をそのまま、意識や感情に置き換えている日常的な思考回路の癖がうつの根底ではないか。
いつまでも続く悩み、苦悩となり、頭からその思いがぬぐいきれなくなり、思考の転換もできなくなり、終始そのことで頭がいっぱいになってします。
それが積み重なり、エスカレートすると次第に高速で思考し、終局無き演習となる。それが例えば統合失調症の急性期だとしてら。思考が暴走し自己抑制不可能となり、壊れた原子炉のようになる。もう冷却は不可能となり、原子炉溶融、そしてメルトダウン、爆発だけとなる。
こんな仮説を生命生存選択盤層、生命生存選択盤状神経ネットワークなどと表現するとしよう。
盤上の出来事は現実ではなく、あくまでも仮想世界、それを現実と思い込み、絶望に陥る。思考力と意志力、行く度でも試す意志力があれば、何度でも対局を繰り返し、可能性を模索することができる。生活、仕事、人間関係、友情、恋愛、家庭、経済、ビジネス、人生設計意、あらゆる競争、勉強、etcあらゆる場面でこの選択が頭の中で対局が行われ重ねられる。
そのネットワークの複雑さが心のネットワークとなる。ひとつのことでひとつのネットワークが組まれる。そこで何十億、何百億もの細胞がネットワークの一つ一つとなる。
人は誰でも悩み苦悩する。それは生きている限り避けられない。IQの知力や体力もあるがEQと言われる感情の力はまさにこの生命生存選択層ネットワークの厚さと積み重ねとネットワークの良い連携システムができていること。
経験を有効に心理体験として積み上げ、希望を築き、可能性を信じる心を養うことはこの層を豊かにしていくこと。
自分が負の連鎖の生命生存選択演算をしていることに気付き、それを意識的に止め、現実の良きこと恵みに目を向け、それを素材として。演算を再構築してみることで、自身の状況が思った以上に絶望的でも望みが持てない状態でないことを認識できるようになり、そのことで情動系の脳機能に前向きな状態をもたらすことができるようになる。これがEQといわれるものかもしれない。
EQが弱ければ、その層がうまく連携されていず、経験から有効な仮定や推測や可能性、希望を引き出せないでいること。
うつ病や統合失調症の急性期などこれに当てはまると考えられる。
治療法は入院、投薬、そして神経回路の停止、それは思考をいったん停止させ、巨大化し、際限なく広がった脳内のネットワークの生命生存選択盤の演算を強制終了させ、意識とは無関係にとまることなく続く思考活動を減速させ、ナンセンスな演算を終了させ、建設的で現実を変えていく新しい思考を開くこと。そのためには幻聴を止め、幻覚を止めて、心と思考を落ち着かせ、現実を体験し、頭の中の意識と現実の違いを実感し、また二本の足でこの世界に立ち、そして再び、生きることを始めること。そこで新しい生命生存選択盤を神経回路ネットワークを築けるようになる。
そこからリカバリーが始まる。病気が完解することがないかも知れず、再度同じことが起こるかもしれないが、このメカニズムを研究し学ぶことで、再発のリスクを低減し、またリカバリーの機会を増やすことができる。これがべてるの家の当事者研究であると思う。
さて仕事で成功し、生活を築いて行ける人は豊かな生命生存選択層を構築してきた人だ。
精神を病むとは、それが苦手な人だ、
苦手な人なりに生き方がある。
さてなぜ、生命生存選択というのがあるのか、それは人間の本能、生きるという無意識の指令に大きく思考が支配されているからだ。命がこの三次元の世界だけの見えるもの、死んで消滅してしまうもとと確信することから来る、消滅することの恐れ、恐怖。それからの回避と生き残り。その人間の肉的本能から脳内に仕組まれた思考の仕組みだ。
古代の時代においては、生死にかかわるストレスは飢餓、戦争、病気、天候など身近なものだった。現代でも多くの国では古代とかわらないストレスにさらされているが、先進諸国ではストレスが変わってきた。経済的ストレス、社会的ストレス、殺されることはないが、評判を落とすことで仕事や成功を失うという恐れのストレス。人間関係のストレス、etc新しいストレスが生まれた。それに人間の脳が対応できなくなってしまっている。それが現代病を生む。統合失調症やうつ病、そして境界性パーソナリティー障害など、さまざな精神障害が生み出されてきた。
それは恐れを起源とする。その恐れを回避し、生き残るために脳内に作られたのが生命生存選択という神経ネットワークだ。
脳全体に複雑につながりあいネットワークを作っているのが人間の心、意思と今は考えたれている。その意思の元となるのが生命生存選択であり、その層が心になって来る。
それは成長と体験とともに層が厚く複雑になり、そしてその選択能力が知恵となっていく。
さて、ここでとても簡単なもうひとつの選択がある。生命生存選択をしないことだ。恐れを感じないなら、生命生存選択は行われない。ほとんどの人は行っていないと思われる。生死の危機に瀕することなく、平穏な生活を恒常的に過ごしている人はあまり生命生存選択は行っていない。これが健常者といわれる人の部類かもしれない.。
心または意識といわれる脳内にはりめぐっている神経ネットワークから不安要素や対処を必要とされる事案が検地されると、生命生存選択層への接続が開始し、生命生存の最善の選択の演算が開始される。これこそストレスといわれるものだ。この接続と演算がネットワークの中で抵抗となり、エネルギーの消耗となり、意識にストレスとなる。ストレスがない、リラックスしているとはこの神経ネットワークの接続が行われていないこと、生命生存選択の演算が行われていないことである。
心、意識を五次元理論では「核」または「個」と呼んで解説している。この核から神経ネットワークが伸びて、生命生存選択層へとつながる。またこの核は五次元的な要素を持つ。
核の仮定説明ページへ→
精神障害者の思考や選択、行動、意識が異常に見えるのも、精神障害者が多くの目に見えない苦労を抱え、それが生死にかかわる大きな苦労でもあるので、頻繁に生命生存選択を行い、その選択盤が何十にも重なったり、ある日はひとつの盤が膨大に広がることで、理解しがたい心理や思考として一般に受け止められてしまうのかもしれない。その神経ネットワークの誤作動によって心、意識としての核が五次元的なゆがみを生み出し、それが時間、空間のゆがみとなり認識され、幻聴、幻覚、妄想を生じさせる。
だからこそかなりのリスクを負ってビジネスに取り組む人や、生死の危機に瀕する機会の多かった人には同じ体験があり、精神障害者の苦労が理解できるものなのかもしれない。
さて、ここでもうひとつの点がある。
わたしが福音書を信仰するものであるから言えることであるが、生命生存選択を福音書に置き換えてしまうことによって思考が恐れから開放される。愛とは恐れのないこと、つまりキリストの救いを得ることで、心が愛に満ち、恐れからの開放を体験し、そのことで生命生存選択の必要がなくなり、まったく新しい思考回路を築くことになる。
核(心、意識)の神経ネットワークが福音という形を持った意識思考ネットワークに接続することで、生命生存選択の演算の必要がなくなる。それが信仰、または愛にこころが満ち足りた状態かもしれない。
福音書による積極的な思考回路だ。このことに関しては以下を参考にしていただきたい。
以上。
聖書的思考リンク→
ケアー
ここで簡単な結果が見えてきます。5次元での第5の軸の創造破壊のエネルギーをプラスに改善することで、ケアーすることができます。具体的には薬により、神経伝達物質の流れの調節を行うことで、始まり、そして積極的思考を築くことでプラスエネルギーを増すことができます。創造破壊軸はまた愛と恐れ軸でもあり、愛と憎しみ軸でもあり、また平安と不安の軸でもあります。さらに端的に表現すれば、肯定的、否定的軸でもあります。
ここでまた大切なことは第5軸でプラスからマイナスへ変化している時0座標で止まることは、時間軸の0で止まることとなり、時間が止まることを意味し、3次元の消失を意味します。それは現実の生活が存在しないことを意味します。時間が止まるということは物理では物質世界の消滅を意味するからです。それは死の点ともいえます。自殺を防ぐことはマイナスからプラスエネルギーへの変位を止まらないようにケアすることです。それは命を救うことを意味します。
ある人が極限まで落ちて、その後何かをきっかけに立ち直るということは0点を通過し、+方向にエネルギーが転換していったことを示します。このように心のエネルギーは5次元の性質を持ち、5次元の第5の軸の変化がわたしたちの精神の働きとなります。私たちの目に見える世界のエネルギー変化の特性とはまた違います。それでケアーの方法も違ってきます。
さて、愛のエネルギーとは何でしょう。愛は創造します。そしてその反対は破壊を意味します。愛は幸せを創造し、不安は幸せを破壊します。そして愛は障碍を乗り越える勇気や希望を作りますが、不安はそれを阻みます。
もっと端的に言えば、5次元の第5番目の軸は「愛」のエネルギー軸となります。
ではそれはどこから来るのでしょうか?
どの次元でも、その次元に変化をもたらすエネルギーはその一つ上の次元から流れてきています。4次元から時間というエネルギーが3次元の世界に流れいるようにです。
仮定として愛のエネルギーは6次元からくることになります。
6次元の世界からのエネルギーの流れが、愛のエネルギーの注入になります。
私はクリスチャンなのでこの6次元がイエス・キリストだと思っています。
7次元の世界である神の世界からその媒介であるイエス・キリストが6次元のパイプとなり、人間の心、そしてこの世界に「愛」という力を注ぎ込んでくるのです。ちょっと極端な考えですが、これも一つの仮定です。
結論として、イエス・キリストを心に受け入れるということは、私たちの4次元に住む体の中にある5次元の心を7次元に接続するために、神の愛の力が注ぎ込まれてくる6次元のパイプをつなぐことになります
。
★そして愛のエネルギーはまた他の人からも流れてきます。5次元エネルギーの流れを持っている人がそばにいて、その人があなたに愛のエネルギーを注ぐことができます。イエスとつながっている人があなたとつながり、あなたに愛のエネルギーが流れてきます。
またあなたがエネルギーを奪われてしまうことをイオンのモデルでたとえることができます。あなたの中から愛という電子が奪われます、そうするとあなたは+の電化を帯びたイオンになります。それはあなたの中に-イオン・・・愛・・引きつける電荷が帯びることになります。
愛を注いでいる人は電子を放出していることになるので、-の電荷を帯びた-イオン状態です。
愛を持っている人は、+イオンの人に自然と導かれます。そこにつながりができるなら、その人から電子(愛のエネルギー:5次元のエネルギー)が注がれます。
だからこそあなたがどのような人とであい、そのような人とつながりを持つかはとても大切です。そして当事者を支援するにはいつも愛の電子を放出できるよに、イエスとつながり、いつも自分の心に愛をあふれるほどに注いでもらい続けることをが大切になります。それが祈りや瞑想、神のみ言葉を読んで、心に力を注いでもらうことです。
*現実的に5次元空間の存在を証明することは不可能です。そのための観測機器が存在しません。また製造することも不可能です。なぜなら5次元の工場でしか製造できないからです。あくまでもすべては仮定に過ぎません。また科学的確証もありません。ただ有効なユニークなものの見方として考えてみてください。
ポイント
このユニークな考えもまた同じように精神障害者に対する偏見と差別をなくすための、ちょっと違ったものの見方としての提言です。当事者への支援が「愛」だということがよく理解していただけることと思います。「愛」というエネルギーを注ぐことで、5次元の第5の軸のエネルギーを高め、恐れを軽減し、平安を築くことができます。恐れこそ、病気の根源です。そして「愛」が最高の薬です。薬は3次元的に助けてくれます。そして真の回復を願うなら、病院任せでなく、心をわずらう当事者に「愛」を注ぎましょう。それは話を聞く、関心を注ぐ、ありのままを受け入れる、そしてあわてない、あせらない、きたいしない、その人のスピードでいく、そして真の思いやりを示すことで愛が伝わり、当事者に癒しとなるエネルギーが注がれます。
さらに続編5次元生命体へ⇒
補足: ここから先はまたとてもユニークになります。この日本の社会においては無神論は無条件に受け入れられています。日本の常識は世界の常識ではありませせん。また人類の発見した真理を代表するものではありません。
戦後のGHQによる、占領政策による、非宗教的無神論教育の結果として、無神論が日本では一般常識となったのです。日本人が信じる進化論はいまだにそれを証明する証拠が一つもありません。土俵では創造論と進化論は互角です。進化論を証明する証拠がいまだに発見されていません。反対に神の創造の証明する科学的発見が多く成されています。
あくまでも5次元理論は仮定にすぎません。
それは私たちこの次元に存在する者が計ることはできません。次元が違うからです。
これは人間の精神をよりシンプルに理解することができる道具としての仮定の理論です。しかし何らかの方法によって未来に証明され、また実際に5次元エネルギーが計測可能となる時代が来ることを願います。