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これはひとつの提案です。心の病気が精神生活習慣病・・・つまり、かたよったものの見方、受け取り方、考え方が習慣になっていることが、ひとつの原因となっているなら、それを変えることで少しは助けになるということだと思います。いろいろなものがありますが、聖書的肯定的、積極的人生観はとても効果的なことは確かです。それを紹介します。
聖書には「あなた方の戦いは肉のものではなく霊のもの」だとあります。そしてあなた方の武器は血肉のものではなく霊のものだと。いったいこれはどんなことでしょう。
脳の中の神経の情報伝達の不調は肉的なことです。それはラジオの受信機が不調になったことと思ってください。そして霊的なものとは、そこへ入ってくるいろいろな放送局からの放送が良いものもあれば、悪いものもあり、悪い放送を聴いていることだと想定してみてください。こわれたラジオ、スイッチをいれなければ、何の雑音も出さず、気にもなりません。でもその電源スイッチを入れて、ぐちゃぐちゃと、あらゆる放送局の放送を受信し、大きな雑音をたて始めたら、ちょっと耳障りですね。このスイッチが入って、とりとめもなくあらゆる放送を受信しているこわれたラジオが霊的な問題ということの象徴です。
聖書的には否定的思考と言うことができます。アンテナがどっちに向いているかです。上ですか、下ですか?
そして放送の受信ということは、放送している存在があるということです。現代の科学では全く考えられていませんが、わたしたちが存在するこの3次元の上に、わたしたちが知覚することのできない次元に存在するものがあり、そこからネガティブな思考の元となるものが放送され脳に流れ込んでくる・・・放送されてきてそれを受信する・・・ということになります。この常識を超えた、ひとつのとらえ方が、全く障害や心の戦いを違ったものにしてしまいます。他罰、自罰という、誰が悪いとか、原因は誰のせいで、あのことが起こった為だと、平面的な見方でなく、非一般的なエネルギーの流れや力によって、他の人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえることで、日常生活や一般的人との間に違和感を生んでいると捉えることができると、心は軽くなり、そして真に癒しの鍵となるものを見出せる近道となります。「この世界は見えるものだけが存在する」と裸の王様にもなれますが、未知なる未発見のものの存在もまた否定できません。太古には地球は平らだったと思われてきました。そして月に人類が行くことを誰が想定したでしょうか。それと同じように、そのような高次元の存在も証明することはできなくても、全く否定することはできません。言葉を代えれば、霊的世界の存在はこの世の測定装置で証明できなくても、それが存在しないということではありません。まさに脳の機能がいまだに未発見なようにです。
さて以下はとっても長い参考文献ですが、ここまで来た方なら、どうぞ読んでみてください。
ストレス克服の鍵へリンク⇒
されに突っ込んで考えると(心理相対性理論)リンク⇒
ネガティブさの麻薬
19.(イエス:)ネガティブ思考の人間というのは、麻薬中毒のようなものだ。それも、どこにでもあるような麻薬ではなく、何の良いところもなく、ただ恐ろしいほどの依存性を持つだけの、本当に悪い麻薬だ。いったんそれを経験し、吸ってしまうと、とたんに抵抗力が弱まり、すぐさま習慣になる。ネガティブさの麻薬を吸うと、何度も悪いトリップをして、そのたびに、深く、暗い、泥沼に落ちていく。ネガティブさと戦ってそこから救出されないなら、最後にはあきらめて、ネガティブさに負けてしまう。だが、どんなに長い間ネガティブさに耐えて生きてきたとしても、あなたはそれを克服できる。
20.もし正気なら、何の得もない、何かとても恐ろしいものの中毒になるに任せる人などいないだろう。さて、サタンはすべての薬を糖衣でくるんで、ゆっくりと、ずる賢く、あなたの肉の思いと見せかけの理論に訴える方法で与え始める。
21.ネガティブさは他のとても多くの霊的問題や、さらには肉体的問題につながる。だから、敵はこの策略をとても好むのだ。ネガティブさの背中にはとても多くのものがおんぶしている。批判的態度、苦い根、嫉妬、落胆、うつ、さらには摂食障害、不眠症などの肉体的な問題でさえもだ。ネガティブさに対して扉を開けると、知らない内に他の多くの間違った物事も引き入れてしまう。
22.わたしの子供たちはたいてい、何度かはネガティブさに試みられたことがある。いつだって、何かの面で自分よりも才能がある人や、自分もほしいと思うような物(それがどんなに小さな物でも)を持っている人がいるものだ。サタンは何か論理的で筋が通っているものから始めて、その上にだんだんと築いていく。
23.敵は何食わぬ顔でそれを始める。最初は邪悪な誘惑に少しの真実を混ぜる。軽い「かわいそうな私」病にかかるのは、ほとんど慰めにもなると言えるほどだ。もしかしたら、あなたは何かの面で進歩しようとしているけれども、それが難しいのかもしれない。敵はそこにつけ込む。あるいは、あなたにはボーイフレンドやガールフレンド、夫や妻がいないのかもしれない。すると、敵はそこから手を着け始める。あるいは、その日、誰かがあなたよりも証しの結果が良かったとか、他にも色々あるだろう。ほんのちょっとしたことでも、あなたの思いにネガティブさの種を植えるためのきっかけになる。そして、すぐさまそれに対抗しないと、どんどん大きくなって、手に負えなくなる。そして、あっと言う間に、予期していたよりもとても多くの問題を抱えてしまう。
24.しかも、さらに悪いことに、いったんネガティブさを取り入れてしまうと、自責の念に対しても扉を大きく開いてしまうことになる。ネガティブになるのは正しくないと知っていて、そうなりたくないとは思うが、「もう手遅れだ。私はひどい失敗者だ。すでにネガティブさを中に入れてしまい、私は負けてしまった。だから、私はこれからずっとこのままなんだ」という思いに襲われる。自分の心の庭を見渡すと、そこは実にめちゃくちゃで、雑草だらけなので、「もうやめてしまえ!」と考えるのだ。
25.けれども、その時、あなたは気づかなければならない。助けを呼び求め、ネガティブさの雑草を取り除きたいと心に決めるや否や、その習慣がどんなに悪くても、どんなに長い間ネガティブだったとしても、わたしが強力な斧を持ってやってくるのだと! わたしは雑草を切り倒すだけでなく、あなたの庭をきれいにして、すべてを完全な勝利に変えることができる。
否定的な思考、その危険とそれからの解放!−−ピーター著 1988年4月
1.否定的な思考について誰かに話す時にはいつでも、僕は、その問題と解決法を指摘する2つの節を分け合うことにしている。それは、、「すべての声が神からのものではないことを覚えていなさい。あなたは霊を試して、自分の聞いている声が主のものである事を確かめなければならない。」
2.つまり、僕達の頭を横切る様々なすべての声や思いやアイデアなどいった事柄は、必ずしもいつも主からのものとは限らないということだ。そうだろう? どこからともなくちょっとした思いがパッと浮かぶ事はないだろうか? 時にはそれらは御霊のチェックである事もある。霊の助け手が何かについて告げる時のように。例えば、ある方向に行くかわりに、向きを変えて別の方向に行くべきだというチェックを受け、それに従った結果、誰か話す必要のあった人に出くわしたりする。そのチェックに従っていなかったなら、決して会う事のなかった人に。−−あるいは、何週間もの間ずっと探していた物を見付けたりするかもしれない。主のチェックに従う時には、あらゆる種類のエキサイティングな事が起こるものだ!*主のチェックとは心で感じる「こうしたらという直感のようなもの
3.ではそのクォートに戻ろう。「すべての声が神からでないことを覚えていなさい。あなたは霊を試して、自分の聞いている声が主のものである事を試さなければならない。」 では、自分の聞いていることが主のものかそうでないか、どうやって見分けるのか?これは非常に大切な点だ。ナンバー1、「それらが神の御言葉に則したものでないなら。」 もしその思いが神の御言葉に則したものでないなら、それは主からのものではないのだ! ナンバー2、「それがあなたを不服にさせたり、不幸せに感じさせたり、恨みや不満を抱かせたり、他の人達に対して批判的にさせるなら‥‥」 たまたま僕たちの頭に浮かぶ思いやアイデアが、「不満を抱かせたり、不幸せにしたり、他の人達に対して批判させる」−−自分自身に批判的になるのも含めて−−のであれば、「これらは主からのものではない!」
4.誰にでも、自分に好きではないところがあるものだと知るのは励ましになるだろう。「ああ、私は太り過ぎている」とか「私は痩せ過ぎだ」、「私の髪はあまり長くない」、「くるくる巻き過ぎている」、「真っすぐ過ぎる」、「薄過ぎる」、「ああ、私は年をとってきている」と。あるいはティーンなら、「ああ、自分は年相応に見えない」などなど!−−ハ!−−あげていけばきりがない! さて、それらは否定的な思いだ。もしそれがあなたを不幸な気持ちにしたり、不満を抱かせ、自分か他の人を批判させるなら、それは主からのものでないことを示している!
5.悪魔(霊的な否定的なエネルギーの存在)は、僕達自身についてあらゆる種類の事柄でもって、僕達を気落ちさせようとする。悪魔がこういった種類の事であなたを攻撃したり、そそのかそうとする時には、それは否定的な事で、否定的な思考なのだ。−−それは自分自身について否定的に考える事だ。それは私達全員にとって戦いである。 ママは自分のお腹のサイズの事で気落ちしたが、ダッドは彼女を戒め、それについて不服や不平を鳴らすのをやめるようにと言っておられた。又、他の人達についても否定的で批判的な思いを抱く事がある。「誰々は、太り過ぎだ」とか「彼女は痩せ過ぎだ」とか「彼女は僕をハグしてくれなかった。僕を愛していないに違いない。」−−こういった全ての疑いや不平や不満は否定的な思考なのだ!
6.だから、この問題について私達はどうするつもりなのだろうか? まず初めに、何が否定的な思考なのかに気付く必要がある。それらのクオートの中でダッドははっきりと、否定的な思考とは、神の御言葉に則していない思い、あなたに不満や恨みや不幸な気持ちを抱かせ、他の人達や自分自身に対して批判的にさせる思いであると述べておられる。僕たちを気落ちさせる思いはどうか?−−それらは主のものだろうか?−−いや! どうしてか? 気落ちすることによって、不満を抱き、不幸せになるからだ。嫉妬を抱かせる思い、それらは主のものだろうか?−−いや! あなたを感謝させなかったり、不幸せにしたり、恨みを抱かせたり、不平を言わせたりする思いはどんなものでも、主のものではなく、それらは悪魔(精神的なマイナスの面から来る)の否定的な思いなのだ!
7.そのクオートは、「これらの思いは主からのものではない」と言っているだけでなく、僕達がそれについてどうすべきかもまた語っている。「敵がそのような否定的な思いであなたをそそのかす時には、敵をイエスの御名で叱責しなければならない!」☆そのような声にたして、聞きたくない、黙っていろと負の声に対して、強い拒否を意識的に示す。(幻聴の場合、会話形式になります。その会話の相手に、もう話は聞きたくないと、強く命令することと同じです。) だが、その事は敵の否定的な思いに1日中あるいは丸1週間ずっと耳を傾け、その後でようやく腰を上げて敵を叱責するという事ではない! そこではこう言っている。「あなたは、敵がこれらの否定的な思いであなたを攻撃してくる時に、彼をイエスの御名で叱責しなければならない。」 いつ敵を叱責するのか? 始めの、それがまだ誘惑の段階で、敵が僕達のドアを叩いて何とか入れてもらおうとしている時だ。敵を叱責しなければならないのはその時なのだ! 「悪魔に機会を与えてはならない!」−−エペソ4:27。悪魔に少しの機会も与えてはならない!
8.悪魔とその否定的な思いとを、最初にそれを考えるよう誘惑を受けた時に叱責しなければならない! そしてそれを行うなら、つまりそれが始まるや否や反撃するなら、ヤコブ4:7にあるように、あなたが「悪魔に立ち向かう」時に、「彼はあなたから逃げ去る」! しかし、悪魔の嘘に耳を傾け、それらを少しでも考え続けるなら、その時から悪化の一途をたどっていく! 悪魔は、一度足をドアにかけてしまえば、あるいは小さなくさびを打ち込んでしまえば、それはらくだの鼻のようなもので、やがてすっかり中に入り込めることを知っているんだ!
いかにして否定的思考という悪癖を打ち破るか!
19.自分についてそんなにも否定的に考えるのをやめようと努める必要があります。あなたは問題を沢山抱えているかも知れませんが、私には、あなたがすべての問題について勝利を得るだろうという完全な信仰があります。例えそれが困難な戦いになるとしても。あなたは戦いを途中で投げ出すような人ではないと知っています。あなたはただ、自分は戦うんだ、ただ戦い続けるんだと決意すればいいだけです!
20.信じたくなければ信じなくても構いませんが、あなたの問題の大部分は、悪魔の声とその否定的なインプットに反応することに慣れてしまっていることのように思えます。つまり、どんな試練の時やテストがきても、あなたは主の声を最初に聞くことをしないのです。主は最初に語りかけようとなさいますが、たとえ主があなたに通じても、あなたは耳を貸さないようです。あなたが実際にはどうしているのか、私にはよくわかりませんが、どんな状況に対してもあなたの自然な反応は殆ど否定的なのです。まるで、どんな状況についてもあなたの最初の反応は、恐れか心配か批判か疑いのいずれかのようです。このように否定的なために、あなたは悪魔の波長に扉を開いてしまい、あなたに最も明瞭に聞こえるのは、それぞれの状況に対する敵の反応であり、あなたに最も明瞭に入ってくるのは、否定的な反応なのです。
21.そうやって否定的に反応するのが、もう殆ど癖になっているようですね。自然と、恐れや疑いや批判や恨みや妬みについて考えてしまうのです。どの状況にも肯定的な反応と否定的な反応がありますが、あなたは普通、否定的な方を選んでしまいます。これを言っているのは、あなたをさらに心配させるためではなく、否定的な考え方が習慣になっていることを認識する必要があることを、あなたに示すためです。
22.それを克服するには、物事に対して意識的に、肯定的な反応をするようにし始めなければなりません。どんな習慣についても同じことが言えます。悪い習慣を断ち切りたいなら、それに陥りそうになった時はいつでも、自分自身を引っ張り上げるか、他の人に引っ張り上げてもらうかしなくてはなりません。あなたは自然とそこへ落ち込んでしまうからです。自分に「あら! これは間違った反応だわ!」と言って、攻撃に出るのです。あるいは、誰か他の人に助けてもらい、こう言ってもらうのです。「あれあれ、その反応は間違ってるね! 正しい反応は何かな?」というふうに。
23.今は、最初に自然と間違った反応が出てくるようです。ですから、真剣に働き掛け、それを変え、正さなくてはなりません。主は、あなたの習慣のことであなたを非難したりはされません。自然に何かをしてしまうからといって、主はあなたを責めたりはされないのです。特にあなたがそれを克服しようとしている時にはそうです。
24.何か否定的なことが頭の中に入ってきたり、口から出てくるたびに、こう言わなければなりません。「あら! その反応、その答え方は間違っているわ! 正しいのは何だったかしら?」 時には、正しい反応が何か考えなくてはならないこともあるでしょう。事故でケガをし、歩けなくなった人のことを聞いたことがあるでしょう。歩くことをまた一から学び直す時、自然に学べるとは限りません。一歩一歩どうやって足を踏み出すか、また次にどんな一歩を踏み出すかを考えなくてはならないのです。いつも自然にできるとは限らないのです。
25.あなたの否定的な反応や思考という癖は何年も経て、自然に出てくるまでになりました。これからは、それを肯定的な習慣と取り替えるように働き掛けなくてはなりません。それにはあなたの側で真の努力を要します。たぶん、最初には否定的な反応が自然と出てしまうでしょうが、主はチェックを与えて下さるでしょう。あなたは祈って、心から勝利を求めなくてはなりません。そうすれば、主は必ずチェックを与え、それを克服するのを助けて下さいます。
26.しくじっても落胆してはいけません。私はよく「間違った反応をしても、がっかりする必要はないのよ。」と言わなければなりませんでした。例えば、彼女は空想にふける癖のことで落胆することがよくあって、私にこう言うのです。「ただ自然にやっちゃうのよ。自然と空想にふけり始めてしまうの。でもそれから自分で気がつくの!」 ですから私は彼女にこう言います。「自然と空想にふけってしまうからといって、落胆したり自分を責めてはいけないわ。自分で気づいたことに感謝しなさい。主があなたにチェックを与えて下さり、あなたがやめようとしたことを感謝するのよ。」
27.ですから、落胆したり自分を責めてはいけません。悪い習慣を変えようとする時には、それで当たり前なのですから。自分の思考パターンを変えようとしている時には、多くの時間と努力を要します。初めの内はどうしても、何ケ月あるいは何年もの間はまりこんでいたのと同じわだちや考え方に自然と逆戻りしてしまうものです。けれども、主の助けと主の力によって、またあなたの意志の力によって、意識的に、自然と出てくる悪い反応を良い反応に変えなければなりません。主はあなたを助けて下さるでしょう。
質 問
@自分の思いに入ってくる考えやアイデアが主からのものであるか否かを知るにはどうしたらいいか?(3-5)
A最初に否定的思考で攻撃を受けた時にそれを叱責するのがどうしてそれほども重要なのか?(7-11)
B疑いや否定的思考を締め出しておく方法を幾つかあげて下さい。(16-17,28-30)
C物思いにふける事が、否定的思考につながることが可能だろうか?(34-39)あなたは、全ての思いをとりこにして、キリストに服従させようと努力しているだろうか?−−2コリント10:5
参考文献Link誌より
73.アラカンと悪鬼長のパンが私たちの思考領域、特に否定的思考や混乱した思いや「うつ」といった面で戦いを仕掛けてくることは、主が示されたので、私たちはすでにそれを知っています。アポジオンは、信仰と勇気と希望をも攻撃します。私たちが一体誰と戦っているのか正確にわかるように、そして、それらを効果的に叱責し、対処できるように、主はこの情報を教えて下さいました。
74.記憶を新たにするため、パンとアラカンとアポジオンについてと、それらがどのように「うつ」と関係しているかについて要約したものを載せます。
75.ダビデの若い子供たちをどう猛に攻撃するのは、悪鬼長パンであり、彼の狙いは、知性と思いの支配権を獲得することだ。・・・知性と思いは悪魔の遊戯場であり、この悪鬼が支配権を獲得するための入り口を探すおもな侵入路であるので、彼は強い否定性とゆううつさと統合失調症と、さらには自殺やあらゆる種類の精神病の張本人なのだ。(ML #3365:63, GN 963)
76.アラカンは、混乱と抑うつの悪鬼長だ。アラカンを名指しで呼びなさい。あなたの心の奥深くに彼を隠れさせてはいけない。名指しで立ち向かい、名指しで叱責しなさい。そうすれば彼は逃げ去る! 彼の持つ力は強いが、鍵の力に比べれば無である。彼を叱責する時には、鍵を使わなくてはならない。彼は思考という領域において、パンと共に働く。(ML #3419:17?31, GN 1006)
77.アポジオンは、・地におもむいて人間の子供たちの間を行き来し、彼らの信仰、勇気、希望を弱め、むしばんでいる。常に圧力をかけ、押し下げ、抑圧し、光と希望と成長と、常に前進運動があるわたしの方に向かって上を見ようとする者たちの目を覆おうとしているのだ。彼は、人の霊と、戦い続け、状況や状態を超越しようという意志を窒息させ、圧迫しようとする。・・・彼の支配力はニシキヘビのようだ。窒息させ、まひさせるのだ。彼に噛まれるのは、蛇に噛まれたようであり、獲物の命そのものと、血、信仰が吸い取られる。・・・彼の力と毒は、特に破壊力が大きく、命を脅かし、わたし自身の者たちである、わが終わりの時の花嫁にさえも打撃を加える。(ML #3400:178,181,182, GN 992)
78.祈る時に名指しで敵対して祈れるよう、パンやアラカンやアポジオンの他にも、「うつ」を専門とする悪鬼で、私たちが知っておくべき者がいるのだろうかと思いました。敵はこれまで以上に「うつ」を使っていることはかなりはっきりしています。悪魔には汚い仕事をするのを助ける手下がたくさんいるはずです。その悪鬼についてもっと良くわかれば、より効率よく、祈りを通して戦い、打ち破る助けになります。
恐れと信仰と癒し
1.癒しの最も大きな要因の一つは信仰だ。神があなたを愛し、顧みて下さり、何が起こっても、世話をして下さるという事を知っているという信仰だ。信仰は、疾患や病気の最大の原因である恐れと緊張を取り除いてくれる。
2.そうした時初めて、心に平安を持つ事ができ、主によりかかって安らぐ事ができる。主がすべての事を解決して下さると知る事は、精神的な疾患の主要原因を取り除く。
3.恐れ、緊張、憎悪心は、身体的、又は、様々な神経的な疾患を引き起こす原因になる。心臓病や関節炎や胃潰庸といったものは、すべては恐れや心配によって引き起こされる。ひどい関節炎を持っている人達のほとんどは、感染が原因による関節炎以外は、精神的な問題が原因となっている。多くの場合、憎悪や恨みを抱いていたり、人生に対して悲観的な態度を持っていることが原因だ。これらは、体内の毒を増加させ、充血や、関節の痛みを引き起こすのである。
4.だから、信仰によって恐れが取り除かれると、精神に平安が与えられ、胃や主要な体内の器官を正常に保つ。それに、心臓を平静に保ち、実際に病気を引き起こす毒素を血液の中から取り除いてくれる。つまり、あなたの思考の状態によって、実際に体を毒する事があり得るのだ。これは科学的に知られ、実証されている事だ。クリスチャン・サイエンスやユニティー、ニューソートといった宗教、そして他の東洋宗教が、時々、良い効果をもたらすのはこれが理由である。
5.安らぎを与える瞑想をしたり、肯定的な事や良い事に思いをおくことが、精神的にも身体的にも良い影響を及ぼす事は確かだ。だから聖句では「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真な事、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」と言っている。−−ピリピ4:8。パウロは、後ろのものを忘れて、つまり過去にあった事を思いわずらわないで、前にあるものをめざそうではないかと言った!−−ピリピ3:13,14。
そして、明日の事は思いわずらわないようにと、聖書では言っている。−マタイ6:34。
6.恐れと心配の2大要因は、過去と未来の事だ。過ぎ去ってしまった過去の出来事を後悔し、未来の事を恐れる事だ。神の御言葉では、そのどちらも思いわずらうべきではないと言っている! そして、今現在の事について主は「あなたは−−たった今−−その思いをあなたにとめている者を、全き平安をもって守られる。」と言われている。「彼はあなたに信頼しているからである。」
7.信頼するものは、主にあって全き平安を得る。「完全な愛は恐れを取り除く。」「恐れには苦悩が伴うからである。」「神が私達に下さったのは、恐れの霊ではなく、力と愛と健全な思いとの霊なのである」! 2テモテ1:7。 これは、精神的な病と恐れとの関係を、明確に示している。もちろん、全く悪魔によって霊感された恐れというものもあるが。
8.そういうわけで、あなたの体の健康度は、明白に精神の健康度にかかわっている。精神的な健康度は、あなたの霊的な状態に大いにかかわっている。なぜなら、愛と信仰は、すべての恐れを取り除くからだ。神への信仰と信頼は、身体の安らぎと、心の平安、満足感や、霊的な健全さを与え、それは心身共に全体的な健康を大いに改善する。
9.人間は、善と悪を選択するために、この地上に置かれた。正しい事をするか、間違った事をするか、神に仕えるか自分自身と悪魔に仕えるかを選択するために地上におかれたのだ。神に仕える事によって益を得て、神が愛を持って作られた規則を守ることによって、喜びや幸せ、楽しみを得、天の父の子供として、そのすべてに感謝し、神を崇拝し、神を信じ、神に信仰を置き、神と神の御言葉に信頼し、自分達のためと、神の栄光のために御言葉に従うことを学ぶこともできる。
10.あるいは、人間は悪魔の嘘を信じ、神に対して反逆し、不従順になり、神の御言葉を信じる事を拒み、自分勝手な方法を取ることもできる。人間がそう選ぶなら、神の健康の法則や、精神的、霊的な、神のおきてに違反する事から生じる結果に苦しむだろう。これらの法則やおきてに反抗し、従わないと、不健康、悲惨、痛み、苦しみ、非人道的行為、非道さ、残酷さ、戦争や経済的な苦境や、不幸や、精神的な苦悩、狂気、最終的には死や、その後にくる地獄を苦しむ結果になるのだ! 健康と幸せのために神が作られたおきてを破ると、それらのことが罰として人間の身に及ぶ。
11.ほとんどの人達は、科学的事実を理解できなくても、科学者がそう言っているという事で、その事実を受け入れる。なぜなら、それが働き、日常生活の中で効果を発揮している事実を、体験できるからだ。
12.電気が何なのか誰もはっきり理解できないが、私達は日常生活に電気の力を取り入れている。科学者でもそれはわからない! 科学者達でも、電気の法則と、現象、その効果しかわからず、私達が頼りにしているいろいろな目的に合わせて、電気をどのように使用するかを学んだだけだ。
13.それと同じように、私達は、神がどこから来たのか、誰かが神を造ったのなら、誰が造ったのか、神がどうやってここに来たのか、どこからやってきたのかわからなくても、神が存在しておられるという事実を受け入れる必要がある。私達は、ただ、神が存在し、神はどこにでもおられ、全知全能の神だということを知っているだけなのだ。
14.私達は、神が人間に優越していて、最高の権威を持っておられると認め、その力に感謝し、神の創造物と、創造物を治めている神のおきてに感謝する必要がある。
15.電気がどうやってできたのか、どこから来たのか、どのように動くかわからなくても、私達はそれを使って生活しているのと同じように、私達の毎日の生活においても、益と命と愛と健康と幸福を得るために、神のおきてや神の力を受け入れ、従い、使う必要がある。あなたは、電気が働くということだけを知っている! スイッチを入れて、その接続をするだけだ。そうすると動く! 電源に接続すると、それはあなたのために働いてくれる。
16.それと同じように、あなたは神の力に接続する事を学び、神に働いてもらい、神に、喜びや健康や幸せを毎日の生活に運んできてもらう事を学び、人生を有益なものとし、恐れや不安や心配の代わりに、信仰と休息となぐさめと平安をもたらしてもらうことを学ばなくてはならない。
17.あなたは祈りを通して神の力と接続するという事を学ぶ必要がある。祈りとは、主の御言葉のおきてに従うことを通して、主の御霊と接続を求め、主の御声を聞くことだ。ちょうどラジオのスイッチを入れ、特定の波長に合わせるように、あなたも主とコミュニケートするべきで、主の御言葉を通して、語りかけてもらうべきだ。聖書と、祈りによる直接のコミュニケーションを通して。
18.主の光と力をあなたの人生に入れるために、主の御心を学び、どのようにして、何に従うべきかを学びなさい。そうすればあなたは、光と力が与えられ、その力が自分でできない多くの事を為してくれるので、毎日の生活に喜びが与えられるだろう。ちょうど電気が、単にスイッチを入れたり、ダイヤルを回すだけで、働くようになるように。
19.電気は、光を出し、力となり、燃料となり、火や熱となり、コミュニケーションや交通機関や、人間が毎日使っている現代の目覚ましい機器に使われているが、その電気を利用するのと同じように、私達は神を役立てる必要がある。多くの人達は電気がどこからきたのか、誰が造ったのか知らないままで使っている。ほとんどの人達は、電気がどう作動するのか、どのような法則で動くのか知らないし、電子を見た人は誰一人としていない。ただその効果を知っているだけだ。
20.神の力は創造的で、あなたの毎日の生活を祝福しており、日常の仕事をやりやすくしてくれていて、あなたの心と精神の部屋に光を与え、あなたの霊的な食物を調理し、魂に食べ物を与え、あなたの心の暖炉を暖めてくれる。このすべては霊の世界の中で毎日起こっている。
21.これが起こっていないなら、悪魔が、あなたの回路をショートさせて、電気ショックを与え、やけどをさせて怖がらせ、混線や接続の間違い、電流の逆流を引き起こして、あなたを欲求不満にさせ、いらいらさせ、シャワーのように火花を散らさせ、静電気を起こして、神とあなたのコミュニケーションや接続を断絶させ、思いを混乱させ、心をかき乱し、あなたの心の住みかである体までも滅ぼそうとしているのだろう!
22.だから、あなたが正しい動力源に正しく接続され、正しい回路で、正しい電量を、つまり正しいボルトで正しいアンペア数を受け取るようにしておく事だ。このような霊的な力を、良い目的で使うためには、悪魔の嘘という危険なショートを避けるために、神の真実という絶縁体で覆っておくように。
23.ただ、その力に対して信仰を持つべきだということを知っていればいい。信仰を持つなら、ただ受ける事によって、毎日の生活の中にその力と接続する意志を持つ事ができる。信仰の手を延ばし、信仰の一歩をしっかりと踏み出し、決断のスイッチを入れ、接続をするだけで、あの力が入り始め、私達の生活を照らし、導き、暖め、養い、供給し、守ってくれ、作動し、喜びを運んでくれる!
24.あなたはただ、それがここに存在していること、それが働いているのだから、明らかに存在しているという事を知っていればいいだけだ。ただ、小さな決断のスイッチを入れてみるだけで、それが働くと実証できる! 別に私の言った事を信じなくても、誰の言葉を信じなくても、ただ試してみなさい! そうすればそれが気にいるだろう! ただ、自分の意志の決断のスイッチを入れて、光を入れなさい。そうすれば暗闇がどれだけ素早く逃げ去るかがわかるだろう!
25.それが、どれだけ早く、あなたの心を暖めてくれ、魂を養い、人生を過ごしやすく、もっと楽しく、もっと興味深くしてくれるかを試してみなさい。
26.神はすべてのものの中で最も力のある存在だ。今まで経験したもの以上の力だ! 試してみなさい! きっと気に入る事だろう! ただ、色々な器具のコードをコンセントに差し込み、そのスイッチを入れる前に、その使用説明書を読む事を忘れないように。そうすれば、ショートしたり、電流が多すぎたりして、ワイヤーが燃え、危険な発火を起こす事はないだろう! その力を正しく使用し、正しい部品を使うようするために、主の御言葉と、主の預言者たちの書きとめた事を読みなさい。
27.ダイヤルを回す度に、祈りのスイッチを接続し、動力源と接続し、神の力に満ちた人生を楽しみ始めなさい!
28.神は、ちょうど愛人のようなものだ。あなたは神の過去のすべてを知る必要はなく、神の精神的、心理的、身体的、医療的、歴史的、政治的、宗教的な経歴は知らなくてもいい。神の正確な身長や体重、サイズや代謝、化学的な要素などを知る必要はないのだ。
29.他に大切な事があるだろうか? 神は、あなたに愛をもたらしてくれ、あなたに人生を与え、幸せとすべて望んでいたもの、そしてそれ以上のものを与えて下さる!それを科学的に説明する事はできないが、それをただ楽しむだけだ! 神を楽しむ! それで幸せなのだ!他に何が必要だろうか? これ以上に望むものがあるだろうか?
30.説明しようとしない事だ! 理解しようと努力するのはやめなさい! 解釈したり、一つ一つ取り上げて、分析しようとしない事だ! せっかくの楽しみをかえって重労働にしている! ただスイッチを入れて楽しみなさい! 夢中になって、神と大いに楽しむのだ! 神はあなたの電力だ! 神はあなたのスイッチを入れられる! 神はあなたにスリルを与えられる! 神が誰か、何者か、どこから来たのかなど気にしなくていい。神がこのようにあなたを愛してくれていて、ハッピーにしてくれ、世話をしてくれているというだけで十分ではないか!
31.それが働く限り、それだけで十分だ! 神があなたを気持ちよくしてくれ、幸せに保っていてくれる限り、それだけが大切なのだ。神を理解しようとするのはやめなさい。ただ中に入れ、試してみなさい! そうすれば、あなたは神を愛するだろう! 神はうまく行く! 知る必要