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信仰と信頼:心のやめる方を支えている人へ
ストレスは悪いものでは有りません。それは成長をもたらすものです。しかし、その人の耐えうる境界を越えると、それは恐れ,不安になります。
聖書に「すべて重荷を負うて苦労しているものは、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」世界中の人に心の癒しと平安をもたらした、この言葉は具体的にいったいどんなことなのでしょうか。
聖書より詩篇55、56編より
「わたしの心はわがうちにもだえ苦しみ、死の恐れがわたしの上に落ちました。
恐れとおののきがわたしに臨み、はなはなだしい恐れがわたしをおおいました。
おのが日の半ばも生きながられることはできません。
どうか、はとのように翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って野に宿ろう
あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えられる。
主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない
わたしが恐れるとき、あなたに寄り頼みます。
わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。
肉なる者はわたしに何をなし得ましょうか
あなたはわたしの魂を死から救い、わたしの足を守って倒れることなく、
いのちの光のうちで神の前に、わたしを歩ませられたからです。」
感情によって心が沈んでいるとき、苦しみに直面して絶望しかかっているときには、私(イエス)がそれをどう見ているかを尋ねなさい。そうすれば示してあげよう。人間の見方には限界があり、ある程度しか理解できないが、その状況に対する天国的な私の観点を求めるなら、あなたは真に計り知れない平安を抱くだろう。
あなたは愛情深い親であって、子どもが苦しんでいるのを見ると、自分がそれを経験しているとき以上につらい。だが、親として、あなたは子どもが何かの試練を通るのを許さなければならないことも知っている。それゆえに彼らはより良くなり、より賢くない、より分別がつき、より謙遜で、愛情深く、他の人の必要をもっと理解できるようになるとわかっているからだ。だから、あなたは、私は彼らの人生にもたらすどんなものをも使って、彼らがなるべき立派な人間に形作れると確信してよい。彼らはそれゆえに、最後にはより良くなるだろう。私を信頼して、見ていなさい。
祈りと賛美の療法
建設的な賛美のちからはものすごい!
建設的になりなさい。あなたの祝福(良い点、或いは良き出来事、感謝できること)主がなされたすべてのことに対して神に感謝し、光を、すなわち聖句とみ言葉と祈りと賛美との歌との、神の建設的な光をうちに入れることによって、悪魔のすべての夜の陰を追い払いなさい。悪魔が、あら捜しをすることのできるものは、常に山ほどあり、彼は本当にそれを試みるが、落胆に襲われたなら、見上げなさい。悪魔を叱責し、否定的なことの変わりに建設的な良いことを考え、すべての陰を・・・敵の疑いや、恐れや、嘘のすべてを・・・追い払うことができる。何であれ建設的な思考で、あなたの思いを完全に占拠することのできるものを入れることによって!「すべて真実なこと、すべて良いこと、純真なこと、また賞賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい」ピリピへの手紙4章8節。それは作業療法のようなものである。祈りと賛美の治療法、聖句の治療法である。つまり夜の陰を追い払う賛美療法なのである。もしあなたが、主のことを考え、あなたの精神の集中と意識の中心的焦点に主を置いているなら、これによって悪魔と彼のすべての疑いや嘘や恐れは、外側に押し出される。両者のことを同時に考えることはできない。「信じつづけ、賛美でのりこえなさい!」
今、もし不安の中にいるなら、そしてこれからのことを考え、恐れを感じているなら、このことを考えてください。
いったい「あなたの不安と恐れの」本質はなんでしょうか!今、心には希望がありませんね。頭の中に思いつくことは、これからあなたをむかえるであろう、悪いことばかり、そしてとんでもないことに陥り、もう終りになる・・・・そんな思いを今同じ時に感じている人が何万人といます。ちょっと今、思ってください。それはまだ起こっていません。これから起こることかもしれないことで、頭が一杯なのです。それはあなたのあらゆるエネルギーを奪って行きます。解決に使うエネルギーも、また他の可能性に気が付き物事が好転する機会を捉える力さえも、消耗させてしまいます。聖書にはまたこんな言葉があります。
「空を飛ぶ鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない、それだのにあなたがたの天の父は彼らを養ってください。それだからあなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと自分の命のことで思い煩うな、(あるいはあなたが支えている人のことで)」マタイの福音書6章25節
空を飛ぶ鳥の自由と幸せへの憧れを歌った歌が沢山あります。「翼を下さい」など・・・・まさに人は心のそこで、空飛ぶ小鳥の暮らしのように「単純なら賢い」「幸福はもっと単純なもの」そう知っているのです。
現代のストレスがより複雑になったのは私たちの暮らしがより複雑になったからです。今あるハイテク機器も30年前にはなにもありませんでした。携帯もパソコンもなかったビデオもなかった時代、生活はより単純でした。また不満も単純で解決するのもそう難しいことではありませんでした。そして、TVとラジオとレコード、娯楽も単純なもので、それも人と人とのまじわりの中で楽しむものでした。アナログ、そしてまだ良心というものがまだ常識でした。
しかしあまりにも今の人間が使う道具や住んでいるシステムが複雑化し、人間の体が対応できなくなってしまっています。100年の科学技術の進歩は地球を何回でも滅ぼせる核兵器を作り出し、ビジネスは国境を越え、人間の貪欲も国境を越え、世界を弱肉強食のハイテクビジネスジャングルとしてしまいました。
ストレスや心の病が増えても当然といえます。
2000年前にすでに答えは見つけられています。馬小屋でイエスキリストが生まれたとき、勝利は定まりました。その時、恐れは愛に敗れているのです。
イエスキリストは実在した人物です。それは考古学的に証明されています。彼は世界で最高のビジネスマンだと言われています。広告を一度も出したことなく、コマーシャルソングもプロモーションビデオも一つも作りませんでした。それでも今、彼のことが書かれた本は世界のベストセラーであり、ハリーポッタよりも売れており、そして世界中の国の言葉に翻訳されている唯一の本です。そして今でも彼のために命を捧げてもいいという、セールスマンが世界中で活躍しています。
そのひとり、アインシュタインは四次元の世界を見つけました。そして天文学者もその現象の観測、撮影に(重力レンズ)成功しています。彼が神からのインスピレーションで得たというE=mc2はエネルギー・質量保存の法則です。しかし宇宙のはるかかなたの現象を証明する法則が日常生活とは関係ないと思っています。いったいこれが今自分が抱えている、あるいは愛する人、心配している人が抱えいる、ストレスや心の病と何が関係あるのかとお思いでしょう。
彼は人間の命が不滅である、それを想い、この法則を見出したとも言われている話しがあります。私の考えですが、アインシュタインも不安を抱いていたのです。そして恐れに直面していたのです。しかし、これがその不安や恐れをかき消したかもしれません。そして老いて死ぬ恐れを克服したのかもしれません。
あなたの命は消えることなく、エネルギーも普遍です。ただ形を変えて行くのです。それは喜びや愛、そして幸福、やさしや、親切、謙遜というプラスのエネルギーに、あるいは憎しみ、恐れ、悪意、否定的、プライド、ねたみ、恨み、後悔、意地悪、破壊といったマイナスのエネルギーに変わります。しかしあなたの中にあなたという、エネルギーがちゃんとあるのです。
日々の暮らしを大切にせず、ほおって流れにのまれてしまうなら、自然と心は疲れ、力を失い、古くなり、やつれ、崩壊していくのです。水面に落ちたインクが水の中にまばらに散って消えていくように。
水面に落ちてにじんで、水に混じり消えてしまったインクは元の一点に集まって来て、元の一滴のインクには戻りません。(熱力学第二の法則の例えから)
時間と共にすべてが分散と崩壊していく、それが自然の法則です。放っておけば人の心もそうなるということです。
アインシュタインは人間の目には見えない世界があることを私たちに発見してくれたのです。「この世界は目に見えるものだけ!」このことがストレスを巨大な怪物にしているのです。そこに目に見えない世界があることを、まずは知りましょう。そしてそこに、目では見えないエネルギーがあるのです。例えは心理学で言う、心のエネルギーはそのことです。心のエネルギーとは「愛」です。それは創造する力です。それは建設的にものを作って行きます。そして体を癒し、自然の摂理に反して破壊されたものを再生し、そして暗い心に光を注ぎ、信じること、そして希望を見せ、それが実現していきます。それが信仰の姿勢となります。また改善し、幸福を作ります。そして愛の反対のマイナスのエネルギーが恐れ、憎しみ、破壊です。それはあらゆるものを破壊し崩壊させていきます。目に見えない次元でのエネルギーの動きは、この二つの方向です。愛と憎しみ、信仰と恐れ、希望を消し去り、創造と破壊です。この目に見えぬ(四次元!?)でのマイナスのエネルギーの働きがこのわたしたちの住んでいる、三次元に反映しているのが、熱力学の第二の法則です。つまり物はほっておけば、古くなり、さび、くさり、崩壊して、使えなくなってしまうということです。人間の生活、心にもあてはまります。
以下は参考文献です。
*詳しくはリンク先まで
![]() |
![]() 崩壊する建物。巨大な建造物はほとんど永久に存続するように思えるかもしれません。しかし、そうではありません。絶えず修理が必要なのは、一部は熱力学の第二法則によるのです。(ORIGINS ビデオシリーズより) |
熱力学の第二法則は、日常生活でなじみのある基本原理を描写しています。それは部分的には、普遍的な崩壊の法則です。それは、全てのものが最終的には時間と共にバラバラになり、崩壊してしまう究極の原因です。物質的なものは不変ではないのです。全てのものは最終的には変化してしまい、無秩序が増加します。どんな物でも買った日と同じように新しいままの物はありません。服は色あせ、すり切れ、最終的にちりに戻ります。全ての物は古くなり、すり切れます。死もこの法則の現れの一つです。熱力学の第二法則の影響は至る所に現れ、宇宙の全ての物に及びます。
毎年、この法則の無情な影響に対抗するために莫大な金額が費やされています(維持管理、塗装、医療費など)。結局、自然界の全てはこの法則に従っているのです。
ストレスとはこのマイナスエネルギーの働きや不足や異常が生身の体や脳の中、わたしたちの心の中で影響を及ぼしている状態です。つまり、この世の肉的エネルギーの注入ではどうにもならないということです。
「神は愛」第一ヨハネの手紙4:8とあります。まさに神は愛のエネルギーそのものです。この世界の太陽エネルギーのようなものです。それを遮蔽して、エネルギーを遮るのが、サタンと言われるものです。まさに目に見えない世界に実在し活動している存在です。銀河系の暗黒星雲のように星からの光を遮り、エネルギーの流れを止めているのです。簡単に言えば人が愛することを遮蔽しているのです。神の愛の光はこの世界のエネルギーや光でないので、人の目には見えません。この宇宙の太陽も人間は直接見つめることはできません。あまりにも強烈なエネルギーで失明してしまいます。しかしその太陽の光を見ることができる天体があります。それが月です。月の光は美しく、闇を照らしてくれます。しかし私たちが見ている光、それは月が反射した太陽の光です。イエスキリストはこの月です。目に見えぬ神の光をこの次元の世界に反射して送ってくる月です。イエスの生涯はまさに「愛」というエネルギーは何かを生身の人間で示した見本なのです。そしてイエスは死んでおらず、十字架から降りてきて、神と同じ目に見えぬ次元へと戻られ、そこであの世界の月となり、神の愛のエネルギーをこの地球に反射しているのです。恐れを克服する「愛」、破壊された人生を作り直す「創造」の力、憎しみを取り去ってくれる「許し」、そしてこの不安と恐怖のマイナスのエネルギーを清算して希望をもたらす神から発せられる「信仰」という力を、イエスというエネルギー反射板は、わたし達へ送ってくれるのです。それはこの世の法則「熱力学の第二の法則」と逆行する現象を起こしてくれるのです。だからこそ、「愛する」ことは自然の法則(自己保存の法則)に反する現象、奇跡なのです。
人間はほっておけば、自然と熱力学第二の法則でエネルギーが放出され、古くなり力が抜けて行くのです。しかしイエスから反射される光を心というエネルギーの蓄積装置に充電することで、まさにこの自然の法則から解放されるのです。
まさに「わたしのもとにきなさい」とはイエスの光の下に来て、照らしてもらうことです。そして休ませてあげようとは、その光を浴びて、不安で冷えた心を温め、信頼という光の中で心休めることです。そして「私のくびきは負いやすく」とは、あなたの人生の重荷は実はあなたに負えるものなのに、自分の重荷以外に他の人や、時間を越えた過去や未来の重荷まで背負っているために、あなたの背中からあふれでて、あなたを押しつぶしているのです。今日の一日分の苦労ならだれでも負えます。昨日の分、明日の分まで負える人は、この世にひとりもいません。なぜなら人とは今この瞬間生きているからです。命はこの瞬間に鼓動をうっているのです。この一瞬、一瞬があなたの命です。しかしあなたの心や魂は、時間に束縛されないで、この世を越えて存在し、過去へ戻ったり、未来へ移動したりします。それが頭の中でのいろいろな時間を越えた心配や思い煩いです。時空を越えて、移動する、心や魂が、過去や未来の重荷まで持ってきて、この一瞬、一瞬にしか存在していない体に、その重荷を負わせてしまうのです。それがストレスです。人間の体が時間を越えて負える重荷の量は0です。だから今日一日、その枠で生きて行く!それが大切な意味です。それはデールカーネギー著「道は開ける」に詳しく述べられています。
「信仰の態度とは?」
ここに東京行きの切符があります。それは一週間後の切符で、12時東京到着の新幹線の切符です。あなたの手の中にそれがあります。だからあなたは一週間後の12時に東京駅にいることを知ってます。例え誰かが、「そんなことはあり得ない」といってもその言葉に惑わされることはありません。あなたは知っています。「信仰とは望んでいることがらを確信し、見えない事実を確認すること」とヘブル人への手紙11章1節にありますが、このことです。信仰の態度とは、たとい今のことでなくても、切符を持っていることから、その時にはどこにいるかを知っていることです。ただ単なる宗教的感情ではありません。そしてそれが目に見えない心のエネルギーの一番の大きな形です。これこそ愛の一つの形です。愛=信仰です。
今のいる状況は土砂降りの雨の荒野のなかで、方向もわからずにいるのかも知れません。やまない雨がないのと同じように、あなたの人生の雨、嵐もいずれやみます。そして方向がわからないのは磁石と地図がないからです。
「信仰は神の言葉を聞くことから来る」ローマ人への手紙10章17節にあります。信仰はただ念じることで生じるのではありません。神の言葉を知ることからきます。つまりそれが切符です。あの古びた本にあるひとつひとつの言葉がこの切符なのです。紙に書かれた神の言葉です。それが数千年の歴史を乗り越え、現代にも残っているのです。それも期限無しの切符です。
「初めに言葉があった」とヨハネの福音書にあります。そして「言葉は神であった」とあります。ここに大きなヒントがあります。心のエネルギー、それは初め言葉として脳に入り、そして高次元のエネルギーに変換し、心のエネルギーになるのです。聖書の言葉にがぎったことではなく、愛(神)から発せられた言葉はみなプラスのエネルギーを心に運びます。そしてそれが心の地図、ナビゲーターです。しかし高性能で正確です。
ですから心の病を持つ人を支えるあなたがまずこの心のエネルギー「愛」で満たされましょう。そしてその地図に導かれて下さい。まず手っ取り早いのは、古くからの聖書を開き、そこにある沢山の約束の切符を集めることです。そしてあなたのエネルギーが心からあふれるほどになれば、今度はそれを誰かに注げるようになります。あなたのコップからあふれるから、注げるのです。コップが一杯でなかったらあなたも空っぽになってしまいます。(地図で心が一杯で方向が良くわかようになる)イエスが蛇口です。その真下にいて、いつもあなたのコップを満たしてもらいましょう。それは2000年前のハイテク、今はローテクの紙に書かれた、言葉という転換エネルギーを読んで、心に取り入れ、あなたの心の炉で心のエネルギーに転換するのです。イエスは神からの無限の愛と創造のエネルギー反射し続け、あなたに注ぎ続けてくれます。空っぽになる前に、必ず一杯にしてください。注いだ分、また注いでもらいましょう。
人間は時間を越えて、感じる力があります。誰でも一日の苦労なら負うことができます。しかし人間は時間を越えて、過去や未来の思い煩い、苦労も背負ってしまいます。あなたの生身の体はこの三次元で生きていて、その瞬間瞬間のものしか背負えないのです。しかし心は時間をさまよい、時間を越え、過去の重荷、未来の重荷を集めてきます。なぜなら心は魂・・・この世界のものではなく、まさにアインシュタインが発見した、目に見えぬ、高次元の世界のものだからです。その負のエネルギーを体が背負うなら、限界を超えたストレスとなり、心の病へとなります。
☆長いメッセージここまで読んでいただきありがとうございます。
最後に
イエスは神の光を反射する月です。それはあなたという地球の裏にかくれてしまうこともあります。ですからいつもイエスの方を向いていて下さい。イエスに向いていれば陰の中に入ってしまうことはありません。具体的にはいつも彼の言葉で心を満たし、そこに心を向けているのです。否定的思考がきたら、不安が来たら、彼の約束、切符に目を向けてください。そして光ファイバーでイエスという光に回線をつなげることが祈りでもあります。
私のお気に入りの切符は「神を愛するものたち・・・には万事が共に働いて益となるようにしてくださる。」ローマ人への手紙8章28節です。今、起こっている悲しい出来事、不運、そしてあなたが支えている人の心の重荷、病い、それが・・・・何らかの法則によってゆくゆくは益となるという切符です。今、目の前にある、なにが起こるんだという不安、恐怖、心配、絶望、希望も見えない状況、しかし、それは必ず益となる。まさにこの世界の法則に反して、心のプラスエネルギーはそれを益・・・その人の成長、家族の成長、あなたの成長としてくれるのです。そしてそれが愛と幸福の材料となると、知ったら、それこそ世界の七不思議です。そしてその人のために祈ることで、あなたが今度はその光を反射して、その人に送ることができるのです。さあその人のために祈ってあげてください。
*イエスとは神からのエネルギーのパイプ、それと永久に連結することができます。それが聖書で言われている救いです。これもまた信仰の姿勢です。祈ったからとて、救いが目に見えたり、問題のすべてが解決するわけでありまえん。しかし無限のエネルギーの源に連結し、そしてあなたの魂は不滅(エネルギーが普遍に永遠に流れ込んでくるので)になります。イエスは今までこの世に存在したただの賢人の一人ではありません。ただの教師でもありません。また別の神でもありません。イエスは唯一の救い主であり、死んでよみがえられた唯一の人です。そしてよみがえった最初の人です。人類の初穂として!あなたの支える人が必ずよみがえる見本として!そしてあなたも!そして死からよみがえられた彼は、あなたの支える人を立ち上がらせ、いやされます。そしてあなたの疲れた心をいやされ、あなたにもあなたの力を超えた、愛、忍耐、憐れみ、信仰をもたらしてくれます。それはあなたの支える人、そしてあなたの心と体のよみがえりのためです。
この祈りを祈ることで簡単にできます。
「イエスよ、今私の心の中に入ってください。そして尽きない愛と力を送ってください。そしてあなたのみ言葉によって私が愛と信仰にあって成長しますように、!」
アーメン
これこそ「心の戦士」への約束です。
皆さんの健闘、そして支えている方の心の癒しを祈ります。
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